Diary of NJ this season!      >>>> writes INDEX


●数字はYahoo!Sportsで●


  2006年 12月7日(木) 更改!
 中嶋さんが契約を更改しました。北海道ニッカンスポニチ北海道の記事。
 コーチ手当て分を含んだ評価を勝ち取った模様。
 自主トレは今年もワールドウイング。オフは選手活動優先でいいという特権?を得たようですが、コーチ会議への参加は義務付けられているそうで、札幌行ったり来たりのハードな日々になるようです。「コーチ会議ってやっぱスーツかな?分かんないな」ってかわいいよー。
 これまでとはまた違ったキャンプインが楽しみです。
 「ダルビッシュにビシっと」って、松坂に対してもいつかこんな話があったような気が(笑)。
 チームは14日からニュージーランドへのV旅行ですが、中嶋さんは参加してないみたいですね。




  2006年 11月30日(木) 来季一軍スタッフ発表・保留
 日本ハムの来季一軍スタッフが発表になりました。珍しく公式にリンク。
 そして、第一回の契約更改は保留だったようです。fromニッカン報知
 イニングが少ないってそりゃ、抑え捕手として起用されてたんだからさ…。登板数?はチーム捕手ではトップなんだから、ブルペンでした仕事も含め、それはそれで別の評価があってもいいと思うんですが。マイナスというのはさすがに驚き。
 同じくこちらはニッカンの写真記事。もうちょっと他のタイミングの画はなかったのか…とも思いつつ、久し振りのスーツ姿がかっこいい。よく見えないけどジャケットはワンボタンなのかしらん。

 それにしても先週の交渉は鎌ヶ谷で、今日は札幌。偉い人も中嶋さんも忙しい。




  2006年 11月23日(木) 兼任コーチ受諾
 ヒルマン監督の続投が決まり、来季のコーチ陣についても組閣が始まりました。・・・なんてことは普段ここの話題にはならないはずですが、今回ばかりはそうもいきません。中嶋さんに選手と兼任で1軍バッテリーコーチの依頼がありました。
 中嶋さんは最初は選手一本を希望していたそうですが、23日に受諾した模様。
 来年からは、これまでとはぐっと違った中嶋さんの仕事振りが見られることになりそうです。

 15日の記事(後になってから見つけました)、20日の記事、そして23日の記事@A

 それにしても、近年の兼任コーチ(or監督)ってバリバリ生え抜き監督予定(orそのもの)の人しか私は記憶にありませんが、そういう立場ではない中嶋さんが要請を受けるということは、人望にしろ果たす役割にしろ、それだけ期待されるものがあったということでしょう。本人の言う通り本当に大変・難しそうですが、ヨシさんと二人三脚で若い投手・捕手たちを支え、監督・新任ヘッドとの間をも繋ぐお仕事は確かにやりがいがありそうです。いっそう応援に力が入ります。

 後日追記。寡聞にして存じ上げませんでしたが、日本ハムには96年にも移籍後6年目にして2軍バッテリーコーチ補佐と選手を兼任した岡本哲司捕手も。先月退任するまでは2軍監督をされてました。




  2006年 11月18・19日 優勝パレード・ファン感謝デー
 18日のパレードでは、1台目のオープンバスの後方に。出発前のセレモニーでは、挨拶するヒルマン監督の真後ろで、幸雄さんの隣でペナント持ち要員のひとり。黒いネックウォーマーに半ば顔を埋めてました。

 翌日のファン感謝デー、グラウンド競技では最初のストラックアウトと最後のキックベースに参加・・・のはずが、キックベースでは「ふくらはぎの調子が思わしくない」ということでゲームには出ず、紅組ベンチのパイプ椅子で観戦のみ、だったそうです。ストラックアウトではそこそこ元気そうでしたが(司会のガンちゃんに「シャーク中嶋」「球界一の豪腕」とか言われてたそうですが)一番最後の全員挨拶にも出てこなかったようなので、途中で何かあったんでしょうか・・・。

 翌20日は球団納会で、洞爺湖でゴルフ&宴会だったそうですが、中嶋さんがいたかどうかは不明(後日、少なくとも宴会では姿を確認)。




  2006年 11月12日(日) アジアシリーズ制覇!
 リードはようやく取った1点のみ、8回表ノーアウト一塁で、武田久のリリーフ登板に伴って守備交代で出場です。
 しびれる場面こそが仕事場とばかりにきびきびと片付ける武田投手、その球を受ける中嶋さん。本当に頼もしい。
 そして9回からはマイケル、普段より長かった今シーズンの最後は、やはりこの必勝リレー。
 最後のアウト、内野へ小フライがあがった瞬間にガッとマスクを外して、そのまま見切れた。捕球を待たずに、マイケルがガッツポーズで飛び跳ねる。
 歓喜の輪へ、少し遅れて駆け寄っていく途中に誰か(金村投手?)が中嶋さんを振り向いて、両手をあげてハイタッチしようと近寄り、中嶋さんはふさがっている両手からマスク、ミットをぽと、ぽととこぼして手を空けてそのハイタッチを受けてました。ペナントとともに全員での記念写真では、最前列の小笠原選手と金子選手の間という超!いいポジションでした(笑)。
 今回は試合後のニュース画像が全然なかったのですが、誰よりも長いシーズンを戦い抜いた小笠原選手とペナントを手にしてスナップ?に納まる姿がちらりと見られました。どうしても隣の人の9年前を、そしてその頃はまだ小笠原「捕手」だったこともふと思い出しました。これから彼がどうなるにしろ、今はただお疲れさまと言いたいです。

 4回表、この試合中唯一といっていいピンチを抑えてベンチに戻ってきたダルビッシュ投手に歩み寄り、隣に腰を下ろした中嶋さんが何かを話しかけてダルビッシュ投手がそれを聞く。今は偶然カメラに映っているけど、見えないところでも例えばこんなふうに、いつでも試合を支え続けてきたんだというのが垣間見える嬉しい光景でした。
 来年も、ぜひ。




  2006年 11月9日(木) アジアシリーズ開幕
 第1戦目、韓国代表三星ライオンズとの試合は、マイケル投手が登板も、大差がついていたためか若者にお任せで中嶋さんは出番なし。

 第2戦、接戦を制した台湾代表La new Bearsとの試合では、勝利の方程式として登場。
 運良く、この試合を観戦することができました。
 試合前のセレモニーでは隣に立っているトーマス投手と喋りまくりで、中嶋さんの口がしばらく動き続けているのを見ては「センテンス長いよ…」と改めて脱帽。トーマス投手の色々な質問に答えているような風情でしたが真相はいかに。
 君が代が終わった途端に帽子を被ろうとして、早過ぎる(続いて台湾の国歌)ことに気付いて慌てて帽子を戻す様子がちょっと面白かったり、暗いところではそうでもない髪色が光に当たると相当明るい茶色に見えることに驚いたり。
 4回ぐらいからベンチに出てきてダルビッシュ投手と談笑、始球式を務めた台湾チームの応援に来ている男性アイドルを巡る客席の大騒ぎを「何あれ?」といったように眺めていました。

 さて、逆転で一点リードして8回裏、ここはビシっと抑え捕手登場。武田久投手があっさり切ってサッとベンチに戻るその素早さ、いつものプロの仕事、の頼もしさにくらくら。
 その裏、高橋選手の打順なので5番!で、前の稲葉選手が出塁すると、ちょっと「おいおい」みたいな表情で笑って右手の手袋を外してポケットにねじ込んだ。え?と面食らっていたらバントの構え。ああそうか、と気付くのが遅い私。何だか目の当たりにするのが久し振りだったので勝手にイメージ外だった。ごく珍しい素手でバットを持つ仕草に喜んでしまう。
 バットに当てたボールは、転がらずにちょっと上がったので肝が冷えたけど、落下したらかなりぴたっと 止まってバント成功。ふぅやれやれ。結局得点には結びつかなかったものの、鬼門の出塁もしないで仕事できたので何より。
 9回からのマイケル投手はいきなりデッドボール、でも中嶋さんはマウンドには行かない。仕草と声だけで投球は落ち着く(後でマイケル投手も「何でぶつけたのか分かっていた」と)。
 しかーし、そこで中嶋さんまさかのパスボール!二死とはいえ同点のランナーが三塁に…でも無事にゲームセット、胸をなでおろす。
 試合後の台湾選手との挨拶は、中嶋さんは終始かなりにこやかだった。
 最後に選手全員が客席へ挨拶に出てきたとき、中嶋さんとマイケル投手だけがとびきり遅れてしかもじゃれあいながらのんびり出てきていて、いつものマイペース振りに楽しくなる。スパイク履き換え済みでした(笑)。

 さて、この試合で私はいわゆる国際試合を初めて生で観戦しました。他国の応援に合わせてか、今回は応援席にお立ち台が設けられ、ファイターズガールもそこで応援。しかし、ヘソ出しユニフォームを含め5度以上に渡るお召し換えとその露出度、踊りの激しさではLa newガールズに一日の長ありだったかもしれません(普段からやってるんだから当たり前ですが)。
 でも、Bearsの名の通りあちらもマスコットは熊だったのですが(ベンチ前のちょこんとかわいいぬいぐるみは戦意を削ぐ気がするがどうだろう)、熊対決では華麗なる連続バック転を決めたB・Bの勝ち!ということで。
 ところでLa newの監督さんは少し前の台湾国際代表の捕手だった人です、とマニアックな受け売り。




  2006年 10月26日(木) 日本シリーズ第5戦 日本一!!
 流れそのまま、日本一でした。
 心配していた中嶋さんも、9回しっかり出場。よかった!
(8回途中で投手が代わったときにバッテリー交代じゃなかったので、チームの優勢にも関わらず血の気が引いていたのは内緒・・・;)
 三振でゲームセットとはいかなかったものの、マウンド上のマイケル投手に笑顔で駆け寄る姿が一瞬だけ見られました。おそらくマイケル投手を抱き上げようとして少し身を屈めて近寄ったんだと思いますが、先に後ろから小笠原選手が飛びつき、すぐに大勢の固まりになってしまっていました(笑)。直後、その固まりから抜け出そうとした中嶋さんをダルビッシュ投手が追いかけてハグってました。
 胴上げの輪では割と外側にいて、後ろ姿をたくさん見ました。 万歳で差し上げている手がパーではなくて、人差し指ぴっ、となっているのは10年前の日本一のときと同じだなぁ、と思ったり。
 他の人より少しだけ早く歓喜の輪を抜けて、レガースを外していました。翌日は全紙買いしたスポーツ紙の写真で、キャッチング時の赤いグラブがローリングスだと今さら知りました。

 そして祝勝会。
 途中まで普通にインタビューに答えていたダルビッシュ投手が横を向いてニヤっと笑った次の瞬間「え?ああ〜もう〜・・・ッハハハッ」といきなり返答不能に陥ったかと思うと(その間画像はスタジオ)、ちょっと"参った"調子で続いた声は「やめてください中嶋さん〜」(笑)。画像が会場に戻ると、ダルビッシュ投手の背後から中嶋さんがビールで顔をがしがし洗ってあげてました。が、素早く踵を返してしまったのでほとんど映らず(その前にダルビッシュ投手からビールかけられてる場面もちらっと映ってました)。
 他の場面でようやく映ったら、前回と同じく帽子+スキーゴーグルにビールサーバ装備。インタビューを受けている稲葉選手のゴーグルをしっかり外して頭からビールをかけてました。
 ところでこのビールサーバーは6台しかなかったらしい。3度のビールかけ全てでしっかり確保するあたりはさすがベテラン(笑)。
 他には女性インタビュアーに「頑張れ、頑張れ〜」と言いながらビールをかけ、日本一のビールの味はと問われて「サイコー」と答えてまた頭からビール。彼女の「ケガ大丈夫ですかー?」という問いには答えないまま去っていく、という画像もありました。ケガに関しては私も気になりますが、ビールサーバは10リットル入りだし、おそらくこの様子なら大丈夫なんでしょう(笑)。
 それぞれほんのわずかな映像、しかもゴーグル越しですが、とにかく笑顔で嬉しかったです。

 超・余談ですがこのときスタジオにいた川原亜矢子さんは中嶋さんの奥様の事務所の先輩のはず。後輩の旦那さんがこの騒ぎの中にいるなんてこと知ってたかしら。




  2006年 10月23・24日 日本シリーズ第3〜4戦
 2日ともに、早めの継投に伴って中嶋さんも早めの出番。中継ぎ投手とともにバッテリー交代で出場。

 4戦目は再び打席に立ち、死球で出塁し二塁まで進むものの…リードから帰塁する際に右ふくらはぎを痛め途中交代。血の気が引く。9回は鶴岡捕手がマイケルをリード。
 塁上で右ふくらはぎを押さえて下がることを申し出て俯いた、その額からグラウンドへ落ちる汗が光るのを、映像が拾っている。ベンチへ戻る小走りに、思わず「走らないで!」とテレビの前で小さく叫んでしまう。その足取りも後半は引きずっている。ゲームセットの歓喜の輪の中にもいない。後から知ったがトレーナー室でアイシング中だった。翌日の第5戦に出られるかどうかは当日の状態を見てから決める、という状況。

 後日知った余談。このアクシデントに伴い、もしも中嶋さんが出場できなかったら・・・という事態に備えて宮崎にいたルーキー小山捕手が夜10時過ぎに電話で呼ばれた(そもそも途中交代自体が22時過ぎの出来事だった)。彼は朝一番の飛行機に乗ろうと朝5時に起きて6時に空港に行ったらまだ閉まっていて、空港の前で開くのを30分待っていたそうです(笑)。そして羽田経由で札幌に着いた…ものの、中嶋さんは5戦目に出られたわけです。とはいえこの緊急招集のおかげで小山捕手は思いがけずビールかけに参加できたわけで、くたびれ損どころかむしろラッキーだった、という。ちなみに彼は宮城出身、キャリアは秋田です。秋田といえば中嶋さんがドラフト指名されなければ入るはずだったTDKも今年の都市対抗で優勝しましたねぇ。ってものすごい脱線。


 さらに余談。以下は4戦目に中嶋さんがベンチに下がって以降ゲームセットの間まで取り乱しながら書きなぐっていたもの。無事に終わった今だからそのまま残してみます。
 
 「僅かな点差を守らなければならないしびれる場面でランナーを背負って、終わらないピンチに息を呑み続けて胸が苦しい。それでも投手がうなずく真剣な視線の先にいるのが中嶋さんだからこそこんなにしんどく感じられる、背反しているけど確かな喜び。
 素晴らしい働きを見せている中継ぎ−抑えの投手陣。それによって彼らを支える中嶋さんへ、解説者たちが今は惜しみのない高評価を与えている。
 それを聞きながら、だからこそ打たれれば中嶋さんが槍玉に挙げられるのだろうと思っていた。だけどそれでいいと思っていた。投手たちの活躍があってこそ得られた評価なのだから、非難の矢面に立って投手へのそれを軽減できるならそれも捕手の役割じゃないか。私は素人だから、いつも「真実」なんて知らない。でもグラウンド上で起こったことは、プレーしている当人たち以外には誰にとっても真実かどうかなんてわからない。少なくとも私が知り得ることは事実じゃない、外の評価だけ。無責任に持ち上げられて、また落とされる。精神論、というより感情・気合い・気持ち論がなされまくるくせに、結局いつも結果論。
 だから言わせておけばいい。誰が何を言っても、私たちは中嶋さんを見守りたくて見守り続けるだけなのだから。
 ただ祈る、どうか明日もバッテリー交代で出てきてくれますように。出てなくてもそこにいることはわかっているけれど、できることならガッツポーズや笑顔を見たいから、どうか出てきて。

 現役でいてくれる、一軍にいてくれる、そして試合に出てくれる。望みはほぼ全部叶えてもらってる。
 こんな大舞台で思い悩めるなんてファン冥利に尽きる幸せだ、どんな結果になるとしても。」

 ・・・いやぁ、取り乱してたなぁ。本音ですけど。




  2006年 10月22日(日) 日本シリーズ第2戦
 勝ち星をひとつ先行された、この第2戦。7回表の逆転の裏にすかさず、勝利の方程式・武田久投手と組んで中嶋さんは途中出場。この時点で、3チームに渡ってシリーズに出場した7人目の選手に。
 ノーアウトからのヒットでピンチを迎えるも、何とか切り抜ける。そんなときにマスクの奥に笑顔が見える。9回表で回ってきた打順ではライト前ヒット、「3チーム全てでヒットを打った」史上初の選手に。めぐり合わせの不思議と、長くやることのすごさを思います。金子投手のバントで二塁へ進みますが、ホームには返らず。打者に合ったピントの向こうに映る二塁上でリードを取る姿、スライディングした膝が汚れている。今年あまり見られなかった光景がなんだか今さら嬉しくなってしまう。
 9回は当然マイケル投手、最後は三振でゲームセット。ウイニングボールを握り締めた右手が作る控えめな、でも力強いガッツポーズにやられる。しびれる。
 あと3回、この瞬間が見られれば。
 試合後のベンチがちらりと映って、汗を拭いていた顔がマイケルを見つけてぱっと優しく輝く。互いの信頼を感じる一瞬でした。

 ニッカンの記事。「自分のやってきたことを出せればいい」ってかっこいい。照れ笑いがまた中嶋さんらしい。




  2006年 10月12日(木) パリーグ優勝!
 若い力でプレーオフを勝ち抜いて、とうとう日本ハムが「パリーグ優勝」を決めました。
 プレーオフ2戦は両試合とも先発投手が完投しての勝利だったため中嶋さんの出番はなかったのですが、ビールかけでは建山投手が「キャッチャーがよく相手のことを勉強してくれた。中嶋さんをはじめ、信二、鶴岡も、ほんとにすごい勉強して、作戦を練って、それを僕らに要求してくれた。だから僕らはこれだけいい成績を残せた。」というようなことを言ってくれて嬉しさもひとしお。
 白井コーチもガンちゃんも「中嶋さんは試合に出ていないときも全力でサポートしている」と言っていた。そうやって勝ちを目指して尽くした努力が優勝という形で実を結んだことを、心ゆくまで喜んでほしい。
 マイケル投手もまた、「これだけチームの勝利に貢献できたのは捕手中嶋さんの存在が大きかった。メジャーではベテラン選手が新人選手にアドバイスをくれることは少ないんです。中嶋さんはボールの切れなど親身になってアドバイスをしてくれました。経験豊富な中嶋さんの助けがなかったら、タイトルをとることは出来ませんでした」と(fromトーチュウ)。

 ここで、優勝決定試合のダイジェストが見られます。
 試合終了直後に森本選手にがばぁっ!と抱きつく姿や、小笠原選手・幸雄さん・ダルビッシュ投手・建山投手・セギ様・マシーアスとともにチャンピオンフラッグを持っている場面が見られます。よく見ると、中嶋さんがマシーアスの手をぐいーっと引っ張ってフラッグ持ちに参加させてます。
 そして面白すぎたのが、そうやって歩いているときにスタンドから投げ入れられた紙テープに中嶋さんがヘディングを試みていたのが別映像のフレームの端に映ってましたよ・・・! うまくクリアできたかどうかは確認できなかったんですけど、お茶目すぎです(笑)。

 10月17日、NHKクローズアップ現代のテーマは「日本ハム優勝・極秘人材登用術」。
 その中で、中嶋さんとマイケルの関係についても取り上げられていたそうです。
 監督が投手と中嶋さんとの相性・捕手のリードの大切さに気がついて中嶋さんをリリーフキャッチャーに。投手がかわそうとして逃げることに対して、中嶋さんは「逃げるな向かって行けと」アドバイスをし、マイケルは「自分と中嶋さんは二人で一人、中嶋さんのサインに首を振ることはありません」とコメント。メジャーでは捕手主導のリードではなく、投手主導のピッチングだそうです。
 ・・・場所と時と人が揃ったってことなんでしょうか、またもや嬉しい話でした。




  2006年 9月27日(木) レギュラーシーズン1位通過!
 日ハムにとってのシーズンの最終戦まで、シーズン勝率順位決定が引っ張られるというハラハラの展開。
 そしてその瞬間、中嶋さんはいつものようにマイケルと組んでホームにいました。ただ、残念ながらマイケルがカバーのために一塁に走っていたので、そのまま小笠原選手とがしーっと抱き合ってしまったのですが(笑)。・・・そのあとすぐ、中嶋さんと抱き合って、中嶋さんが何度もマイケルを抱き上げて喜びを分かち合う光景があったそうです。
 マイケル投手はパリーグの新記録を作ってセーブ王になったわけですが、それについて「リーグ1位、セーブ記録、中嶋というキャッチャーがいたからこそなし得た」とコメントしてくれています。嬉しい・・・。
 その後は中嶋さん4年振り、シリーズも含めると6度目(・・・のはず)のビールかけ。笑顔!のダルビッシュ投手から背中に瓶ビールを突っ込まれて、じたばたした後に両手の瓶ビールで逆襲する姿(帽子は後ろ前)や、ビールサーバを背負った姿なんかが見られました。

 そしてごく個人的な感慨ですが、この3日後の9月30日で、私が中嶋さんのファンになってから丸10年が経ちました。
 長いようにもあっという間のようにも感じますが、とりあえず10年前の私は、10年後も彼を好きでいることも、10年後に中嶋さんが現役でいることも知らなかったということを思うと不思議な気持ちになります。
 何も知らないで転げ落ちるように好きになってしまった対象が、10年意識を払い続けるに値する人だったこと。20年目も現役でそこにいてくれること。なんて幸運なんだろうと思います。
 なんて、振り返るにはまだ早いですね。
 この先も、一年でも長く、一試合でも多く、その姿を見ていたい。
 今日もまた心の底から噛み締めます。




  2006年 9月23・24日(土・日) 千葉マリン
 両日ともじりじりと照りつける千葉マリンにて観戦。一塁側内野では日焼けを避けられず。
 出番があったのは土曜日のみ、しかも普段と違って負けている状態からイニング途中でバッテリー交代。スクランブルの甲斐あってか脅威の粘りで一度は同点に追い付くものの9回裏にサヨナラ・・・残念。
 見たもの箇条書き。
 ・若手の川島選手を構いまくる。
 ・ヒルマン監督が中嶋さんの両頬を手ではさんで何か話しかける、通訳も交えて長く話は続き、中嶋さんは笑顔から真面目な表情になるも、かなり長い間ほっぺたをはさまれっぱなし。
 ・ロッテベンチへ帽子を取って駆け寄って、誰かに挨拶している(モロにではなかった)
 ・端々で見える笑顔が、いつにないほどすがすがしい、吹っ切れたものに見える。気のせいだと信じたい。
 ・武田久と長い間話し込む。途中でダルビッシュ投手も参加。

 ネットTV中継で、アナウンサーに中嶋さんの印象を尋ねられた原井和也氏(西武→ロッテ)が「いや、同級生なんですけども、意外と物静かで…でも面白いことには面白い奴なんですけど。」と。物静かなんですか?と問い返すアナウンサーに「けっこうねぇ、あまり…喋らないというか。そういう選手なんですよね。」 と重ねて答える。・・・それは単に、原井選手が最後まで中嶋さんの人見知りの対象だったんでは、なんて思ったり(笑)。



  2006年 9月10日(日) 今季初スタメン、そしてフル出場勝ち試合!
 先発は金村投手、何がきっかけかはわかりませんが突然スタメン出場でした。そして勝ち試合なのだから嬉しい限り。普段は中継ぎ−抑えとリレーになる中で出場するわけですが、武田久−岡島−マイケルの勝利の方程式までいつも通りにリードしてフル出場でした。
 それにしても1日で4打席もあると一気に下がりますね、打率って(笑)。
 翌週の9月17日(日)もスタメンマスクでしたが、以降はなし。結局今季のスタメンは2試合でした。




  2006年 9月2日(土) ヒーローインタビュー!
 いつもの如く途中出場なのはともかく、クリンアップが全員HRを打っていて、中嶋さんの打点は貴重な追加点だったのは確かですが勝ち越しだったわけでもないんですが、なぜかというかとにかく、ヒーローインタビューですよ! 本拠地ではなく西武ドームだったので「お立ち台」というわけにはいかなかったものの。
 「バッティングで貢献することはあんまりないんで、すごく良かったです」「最後には皆で、皆さんといい思いをしたいと思いますので応援よろしくお願いします」と。ご好意がありまして、久し振りに声を聞きました・・・。
 7回から守備固めで出場。8回裏には盗塁刺も決めて、2点リードで迎えた9回二死満塁から走者一掃のツーベースヒットでした。「たまたまです、ホッとしています」と照れ笑っていただとか、相変わらずの中嶋さん節。

 それにしてもヒーローインタビューはどれだけ振りなんだろうと記憶を探りますが自信がない。こういうことを記録しておくためにサイトを作ったんじゃないか自分。西武時代にシリーズで石井投手と立ったのはありましたが、シーズン中となると・・・オリックス時代の星野さんと一緒のお立ち台は鮮明に覚えているんだけどなぁ。って遡り過ぎですか。最近物忘れの激しさに拍車がかかっています。




  2006年 6月19日(月) スピードガンコンテスト
 試合前の甲子園で、阪神主催のスピードガンコンテストがありました。
 各チーム3人ずつ選手を出して、合計を競ったのですが・・・日ハム側は全員の中でトップだった中嶋さんの146キロを含め、飯山、稲田で合計417。阪神は中村豊、関本、浅井で398。
 いやあ、合計から引いて残りの数字を割り算したりしましたが(笑)、ダントツですねぇ。相変わらずお元気そうで何よりです。
 どうせそのうち見られなくなりますが、記事リンクを張ってみます。
 ・投球時写真付き

 ・また別の記事ですが、いい内容だったので。




  2006年 6月3日(土) 交流戦 inハマスタ
 後日に発掘した走り書きを貼り付けているので、以下は全く脈絡のない見たものメモ。

 試合前の練習中、ダルビッシュ投手の球を受ける。
 なぜかペン持参!で相川選手のサインをもらってる。誰かに頼まれたのかしらん。あとは佐伯選手、「ベイスターズの」鶴岡捕手や秋元バッテリーコーチと話したり。
 小笠原選手のお尻に軽くボールを投げつけ、小笠原選手もやり返してしまいには追っかけっこを始めるベテラン二人(笑)。でもわりとよく見る光景かも。
 縦幅の狭い色の薄いサングラスがかっこいい、どこのなんだろう?
 初めて見るボトルガムをもらう仕草、足を組むときは右が上、髪がかなり短い!
 ヒルマン監督の隣で、驚くほどやわらかい笑顔を見せる。その表情のやわらかさに「当たり前だ、初めて見たころから10年経つんだ」と改めて思う。
 コカ・コーラの冷蔵庫から素早く赤い缶(やっぱりコーラ?)を取って尻ポケットに入れてベンチ裏へ。別のときには白い缶も。何だろう・・・。
 木元選手がヒソヒソ話を仕掛けてくる、中嶋さんの肩を抱く仕草が目を疑うほどねっとり系(笑)。
 膝に肘をついて頬杖をつく、顔に手を添える。ベンチの中で目薬を差すのを初めて見た。
 帽子の上にサングラスをのっけた姿が超!かわいい。ディアス投手の球を受けてベンチに戻り、通訳を交えて、そして直接、喋る。最後に「リラックス」というように肩を叩く。
 ミットは青を基調に縁や紐が白い、ライオンズもしくはベイスターズカラー?のもの。ロゴは赤いのを馴らしている。
 ベンチ後方で手伝ってもらってレガースを装着、そのまま壁に掛けてあったプロテクターを装着するときに帽子を取り、メットを出してくる。一連の流れを見ていると何てことないのに楽しい。




  2006年 5月6日(土) 初打席
 今シーズン、中嶋さんの扱いは専ら試合終盤に守備固めとして出場する「リリーフ捕手」です。ただ、その状態でここまで34試合中17試合、つまりは半分に出場しています。中嶋さんにとっては歯痒い局面だとも思いますが、チームにとっては欠かせない役割だということも確かでしょう。

 そんなわけで、出場17試合目にしてようやくの初打席と相成ったわけです。
 楽天イーグルスTVで、録画再放送の5月6日を選び、3時間2分あたりから打席が見られます。守備にはその前の7回(2時間50分〜)からついています。
 見ていただければわかりますが、相手野手の好守に阻まれての中飛で残念。
 でもこれが、次につながるといいですね。
 9回裏、先頭打者吉岡を空振り三振に取ったシーン(3:30〜)なんかも、いつもの動きなのですがどうにも素敵です。
 ところで同中継内で、解説の佐々木修氏が「捕手はだいたい、指の2〜3本は骨折したことがあるし、足の指の形なんかもまともな人はほとんどいない、苛酷なポジションだ」という話をされてました。足の指ってどこでやられてしまうんだろう。しゃがみっぱなしの姿勢や、本塁ブロック時とかなんでしょうか。




  2006年 3月27日(月) 37歳の存在感
 ものすごく久々の、リアルタイムな更新です・・・。
 WBC優勝の興奮も冷めやらぬ中、3月25日にパリーグが開幕しました。中嶋さんにとってはとうとう20年目!のシーズンです。

 その2日前に届いた日本ハムファンクラブ会報についてご紹介。『37歳の存在感』と題した、同学年の奈良原選手と中嶋さんのベテラン対談が載っていました。その一部を。

■同級生 
――チームで二人だけの同級生ですね。
奈良原:サメ(中嶋)はね、20年目でしょ? 僕がルーキーで入ったときは、すでにレギュラーだったんですよ。打席に入るときには(捕手に)あいさつするんですけど、僕は同級生だと思ってるから最初『おぅ、元気?』みたいな感じで言ったら、(チラッと見て、嫌そうな顔で無視する真似)こんなんよ(取材陣爆笑)。
中 嶋:いや、いっぱいいっぱいなのよ。あの時の西武はめちゃめちゃ強かったから、いろんな状況を想定しているときに『うぃーっす』って入ってくるから、なんじゃこりゃ?と(爆笑)。
奈良原:途中からですよ。僕が打席入ったときに話しかけてくれるようになったのは。(小声で)『セーフティーすんなよ』とか(笑)。そう言われるとね、選択肢に入ってなかったんだけど、『あ、それも面白いな』って(爆笑)。
中 嶋:おまえ、もぉー(うんざり顔で)。今も忘れない、山形。素直にサード側にやりゃいいのに、ビミョーなところに転がして、俺一塁暴投してさー・・・。
奈良原:ちょうどチームかぶってないんだよね。僕が西武を出た年に(中嶋が)入って、僕がつけてた5番をそのままつけた。(中嶋がファイターズに来たときも)そう言えば、しゃべってくれなかったな。

 ・・・いやもう、このくだりが相当ツボに入ってしまって。当時の姿を想像するだに微笑ましい。「もぉー」とかも、中嶋さんの声が聞こえてきそうです(加えて言うなら暴投の場面もちょっと浮かんできました笑)。山形っていうのがいつの出来事なのか俄然調べたくなってしまいました。
 他にも田中幸雄選手の話題で、『2000本見たことある? 俺いろんな記録見てるけど、目の前で2000本の瞬間って見たことない。』とさらっと発言するところで「そうだよな、20年目なんだからそりゃいろんな記録も目撃するよな・・・」なんてしみじみしたり。キッチリ押さえる奈良原選手にくらべて、無造作に喋っている感じがたまらないです(笑)。素敵な企画でした。

 あ、幸雄さんといえばこのころ、初キャプテン就任について問われて「キャプテンを勤めるのは高校のとき以来だけど、奈良原とか中嶋とか年の近い選手にも話を聞いてチームをまとめていければと思います。」なんて答えていました。確かに1つ違うだけなんですが、あまりそんな気がしないのはなぜでしょう。

 そして今日3月27日は、中嶋さん37歳のお誕生日です。おめでとうございます!
 (ですから、上記の対談時の中嶋さんは正確にはまだ36歳)
 20年目という節目のシーズンも、どうかケガなく一試合でも多く出場できるよう祈っています。わくわくする春を迎え続けさせてもらえることに、改めて感謝を噛み締める日なのです。




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