* njm 辞典 *
中嶋さんにまつわる小ネタ集。後半な〜わ行。
な行
ほぼプロ野球専門の、スポーツライター。中嶋さんとも交友があった気配。しかしここ数年('96〜'99辺り)の経験から、私はこの人の言うことは話半分に聞くことにしている。仕事だから仕方ないとも思うけれど、とっても「勝てば官軍」な内容が多いので。
たとえ用兵の妙や心理戦を書くときに、かっこうのネタにされまくろうと、このことを胸に留めておけばいちいち浮き沈みしないですむ。
「一球の心理」あとがきの一文に心揺れた人も少なくないかもしれない。私はあれは笑うとこだと思うけど。
・・・なんだそうです。「オリックスの中嶋さんなんて普通で1時間ぐらい平気で入ってる。長いときはそれ以上。一緒に入っても付き合いきれなくて先に出ちゃう」と、'98頃?の月刊ジャイアンツ誌上にて佐々木選手が証言。青濤館時代の話でしょうか。
なんだかカラスの行水っぽいイメージがあったので意外でした。男の人が普通で1時間って、そりゃ長い。多少の誇張はあるにせよ、お風呂好きなんですね。
現役時代パリーグにいたのは、'93オリックス在籍の1シーズンきり。なのにたまにライオンズナイターの解説などもしてらっしゃる。そんな彼は当時バッテリーを組んだこともあるはずの中嶋さんに恨みでもあるのか、放送中にその感情が露出しまくっていたとても素直な人。
年鑑とかに発表されてるものって、あくまで"推定"ってことになってますけれども。知る限りをあげると、'89は800万、'90は1440万、'91は2360万。'95は2800万、'96は倍増の5600万、'97も5600万、'98は変わらず5600万も3年契約、'99は6500万。
という上記の数字が、オリックス時代を含めてかなり間違っていたということが発覚しました。
どこまでが正しいのか、はたまた全て間違っているのかはわかりませんが、とりあえず今季('99)は7500万円、来季は300万減の7200万円だそうです。松坂くんがらみで発覚。
'88、阪神ドラフト1位。絶頂期の'93、阪神からの電撃トレードでオリックス入り。当時の土井監督は「キャンプでは心優しい弟分のような中嶋と同室にして野田の緊張をほぐした」とか。
スライダーを投げれるようになったきっかけは「中嶋が無理やりサインを出して、“まあいいや、しょうがない”と思ってほうってみると結構これが決まる。」だとか(笑)。
1試合19奪三振の日本記録('95.4.21)は、中嶋さんと組んでのもの。お化けフォークの使い手でした。
'00シーズンいっぱいで引退、'06現在は社会人野球・ニチダイの投手コーチ。
は行
05'いっぱいで現役引退を発表、日米に渡り16シーズンの選手生活にピリオド。お疲れさまでした。
'91オリックスドラフト1位。中嶋さんと同学年のうえに投手と捕手という間柄。大卒入団後すぐ活躍(ルーキーイヤーに新人賞を受賞)した彼と中嶋さんは、一軍に同年代二人きり状態が長かったのも手伝って、けっこう仲良しだったようだ。インタビューでの「プロに入って驚いたこと」という質問に「中嶋の人気」と答えていたりするあたりはなかなか侮れない。
私が中嶋さんファンになるのとほぼ同時('97から)にメジャーへ去ってしまった彼ですが、あの恐怖のFA混乱期には彼の存在で少々気を落ち着けていた記憶も。中嶋さん'01キャンプイン前の自主トレは、ロサンゼルスにある彼の自宅周辺で行われた(+Ys古田高津石井YB斉藤の6人で合同)。当時、彼のホームページの日記での「日本にいるころより球が速くなったのに、松坂くんの球を受け慣れているせいか何も言ってくれなかったな〜」と少々スネ気味の発言がかわいかった。
小さな頃から野球好き、というわけではなく、小学校時代はバレーボールをしていたそうです(ポジションはピンチサーバー:本人談)。しかし、部員不足で部がつぶれてしまい仕方なく?野球を始めたらしい(この点については異説あり)。
関係ないが、阪急にドラフト3位指名されたそのときも「体育の授業でバレーボールをしていた」とか。
現評論家。元西武ライオンズ監督。名うての勝負師、通称トンビ。
西武が中嶋さんをFAで獲得したのは彼のはたらきかけ・・・になるのか? わりと起用してくれた。中嶋さんのことをサメ、サメ、と呼びまくりだった。
私は'88、'90、'95、'05の直筆文字(もちろん写真ですが)を見たことがある。偶然かもしれないが、年を追うごとに字が丸くなっている気がする。私はかなり好きな字です(特に昔の)。
しばしば聞く、中嶋さん評。本人もどこかで言っていた。
・・・・確かにそうかもしれないけど、全然そうじゃない気もする。西武ナインに溶け込むのは速かった・・・って、もしかしなくても元から知り合いだったのか。
現中日ドラゴンズ#36。
'94オリックスドラフト1位。'95は無敵のストッパーとして、パリーグ新人王、最優秀賞率、最優秀救援などタイトルを総ナメ。中嶋さんと組んでベストバッテリー賞(提供:社団法人日本電池工業会)も受賞。ありがとう。移籍後もBW戦のときなどよく話しているのを見かけた。酒飲みという共通点も持ってた。
しばらくの低迷期を経て、'03から中日へ。中嶋さんとの初対決は、満塁でショートゴロに打ち取る。9月は月間MVPを受賞、復活おめでとう!
少なくない。年齢とメディアへの露出の割には不思議なほど(すみません)ファンの多い選手だと思う。昔はチームのアイドル(笑)だったし、不動のレギュラーだったから当然だけど、最近に至るもファンが増えている・・・? もちろん、私もその一人です。
'85に阪急入団、'97に引退。'06現在、日本ハム二軍内野守備コーチ。二塁手の連続守備機会無失策の日本記録を持つ、名手。
週ベに載った引退時のインタビューに、こんなくだりがあった。
“――:10月10日、GS神戸の今季最終戦のダイエー戦が最後の試合になりました。代打で登場してヒットも打ちましたし、ゲームセットとなるサードゴロもさばきました。
福良:中嶋は、辞めるということを知っていたらしいんですよ。だからそのとき、マウンドにいた小林と打ち合わせをして、最後だからサードゴロを打たせようというふうにしてたみたいなんです。そして、本当に飛んできて・・・・。終わった瞬間は、もうこれで終わりか、もうここに立つことはできないのか、という感じで寂しかったですよ。”
折りしも、この号の週ベは「メジャーを目指す男たち」の特集。吉井をメインに、中嶋さんも表紙にいた。巻頭記事の「退団は決定的、メジャーも難航中」といった内容にも、スポーツ新聞の情報でとっくに麻痺していた。けれど、この福良さんのくだりを読んだとき、中嶋さんがらみでは初めて(おそらく最後でもある)涙が出ました。「こんなに仲間を大事に思っている人が、どうして11年いたチームを出なくちゃいけないんだろう」と。
現オリックス#72、二軍打撃コーチ。'87阪急ドラフト4位、中嶋さんの同期入団選手。移籍することなく、阪急〜オリックス一筋に16年。'02いっぱいで現役を引退。お疲れさまでした。
独特で美しいホームラン弾道軌道が印象的。満塁男、でもあった。移籍後も、試合前など、中嶋さんとよく話しているのを見かけた。'93〜'00あたり?ずっと一緒に鳥取ワールドウイングで自主トレしてました。
'83阪急ドラフト3位で入団、'84の阪急優勝に貢献、同年のパ・リーグ新人賞に輝く。捕手の新人王は、パリーグ歴代で彼一人(ちなみにセリーグでも田淵幸一ひとりきりだ)。
'88シーズン、右手の血行障害というアクシデントに見舞われた彼は、入団2年目の若手捕手にポジションを脅かされ、翌年'89にはレギュラーを追われる。・・・そう、中嶋さんがブレーブス正捕手の座を奪った相手だ。
その経緯は中嶋さんにとって幸運なものであっても、彼にとっては理不尽だったかもしれない。
'92に高田誠捕手とのトレードで巨人へ移籍。'96いっぱいで現役引退。
いつかの週ベでその対策を尋ねられて、「最終撃退方としてはとにかく"頑張る"、それしかないでしょう」という甚だ不安な(笑)返答をしてたことが。
フルネームは、ウィリアム・パトリック・フレイザー(多分)。'96〜'98、オリックスに在籍した外国人投手。中嶋さんはファーストネームで「ウィリー」と呼んでいた。
盗塁フリーパスの問題モーション?と、何よりリードの相性のおかげで見事に中嶋さんとしか組まなかった(一度だけ高田捕手と組んだが打たれた・・・あ、当然移籍後の'98を除いての話)。
藤田捕手にとってのホフマンというところか、'96後半&オリックスでのラストイヤー'97、ベンチをあたためがちだった中嶋さんに出場機会を保証してくれたありがた〜い人だった。しかも勝利インタビューの類ではいつも中嶋さんの名前を出して誉めてくれていた。謝々。
'06現在、西武ライオンズ#26。松坂の同期入団(年齢は上)で仲良し、左投手。'00.8月上旬、彼がインタビューで自分の髪型を「怪しい坊さんみたいでしょ」と発言したところにちょうど通りかかった中嶋さんは、手を合わせて彼を拝んでいたとか。お茶目すぎです。
'84阪急ドラフト5位。最高球速130km/h未満、80km/h前後の超遅いスローカーブが武器のベテラン左腕。FA権行使で'00シーズンから阪神、'02いっぱいで現役引退。解説者を経て、'06から阪神二軍投手コーチ。 >>『真っ向勝負のスローカーブ』
中嶋さんがそのスローカーブを思わず素手で捕ってしまった、というエピソードは有名。
【詳細:1990年9月20日の日本ハム戦、打者田中幸雄の場面で、星野投手がインコースに投げようとした球が思い切りアウトコースへスッポ抜け、中嶋さんはそれをひょいっ、と素手の右手で捕球してしまった・・・という事件。】
さらに昔の話。星野さんがしなくなったネックレスを「それツキないからやめとけ」と星野さんに止められたにも関わらず「いらないならもらっていいですか」ともらい受ける。そして案の定というかヒジを壊して二軍落ちしてしまったという。
自分の前に「53」をつけていたこの人に、中嶋さんは終始かなり懐いていた気がする。
ま行
ここ数年(と書いたのは'99)オールスター試合前に行われている、野手によるスピードガンコンテスト。中嶋さんは'95年は146km/hでイチローとWトップ(しかしその後一騎打ちで敗れる)、'96年は単独トップ(しかしイチローは不参加)。
'95、「146km/h!」のアナウンスに会場がどっとわいたとき、すごく嬉しそーな笑顔でガッツポーズをかます中嶋さんはめっちゃくっちゃカワイかった・・・。 そして大喜びするパリーグベンチもね(笑)
ご存知、平成の怪物。西武ライオンズ#18。デビュー当初は中嶋さんの試合出場を保証してくれていたが、2年目以降は残念ながらそうでもなかった。中嶋さんの知名度を上げてくれたかもしれない(私にはその実感がない)。
'79阪急ドラフト外。チームリーダー的な存在として'92までオリックスに在籍、当時まだペーペーだった中嶋さんをからかっていた。'91頃かな、中嶋さんのバットを「このバット軽すぎるよ、小学生みたい」とか言ってたり(笑)。
投手イチロー登板のとき('95.7.16)も、バッターボックスで空振りしてくれるノリの良さに感謝。
中嶋さんが麻雀を覚えたてのころ「松永さんはゆっくりやっても許してくれるから好き」なんて言ってました。電撃トレードで阪神、FAでFDHを経て'97シーズンいっぱいで現役を引退。
2000年4月現在、中嶋さんが試合中に使用しているミットは未だ「5」のまま(笑)。そりゃ、使い慣れて手に馴染んだものじゃないと使えないでしょうからねー。
続報。5月末あたりから、練習中に新しいものを使い始めたようです。新顔ミットは紫っぽい青で、ナイキのマークと“22”の赤が思いっきり入ってる。他にも赤がところどころに。今は手に慣らしている状態か?
'97ダイエードラフト6位、'99年シーズンいっぱいで自由契約。
'97の新入団時、某aiのアンケートで「プロに入って対戦したい選手は?」と問われ、他のピッチャーが皆「イチローさん」「松井さん」などと答える中、彼はひとり「鷹巣町の星、オリックスの中嶋聡選手」と回答し(私の)度肝を抜きました。そんな村上選手はトーゼン鷹巣町出身。ぜひ同郷対決が見たかったんですが、残念です。それにしても、星だったんですね。
'96あたり、中嶋さんが着ている姿がよく見かけられたブランド。中嶋さん以外にもイチローをはじめ、当時のオリックスの若手選手がみーんな着ていた。関係ないけどSMAPの香取慎吾もよく着てた。今は昔。
や行
前中日監督。中嶋さんと同じ秋田出身の、阪急黄金時代を支えた大投手。永遠のサブマリン、燦然と輝く284勝。・・・はい、ファンです。
阪急ブレーブス最後の年となった'88年、その10月22日は、20年にわたる彼の現役生活を締めくくるラストマウンドだった。その相手役を務めたのが、プロ2年目を終えようとしていた中嶋聡19歳。
「僕にとって神様みたいな人だった。その山田さんの最後のボールを受けられたことは、僕にとって大きな財産です」。
そして、'94〜'96年の3年間、オリックスの投手コーチを務め、"投手王国"を築く。
バッテリーを組む相手として、文字通りの指導者として、中嶋さんを二重の形で育てた大恩人。NHK解説者時代もおいしいコメントくれたりして、大好きでした。
ら行
オリックスの現在の寮、青濤館の部屋にはグレードがあり、一軍に定着すると豪華な部屋に住めるらしい。中嶋さんは阪急の寮、集勇館時代も含めて、'92年まで寮生活をしていた模様。
しかし出てからもしばらく寮に出入りしていたらしい。「いつも吉田(直喜・当時BW広報)さんの部屋で寝てるもんな、オレ。」【'93 ORIX YEARBOOK】・・・なぜ。
本人も昔('89)「練習好きなほうじゃないもんで」と言っていた通り、あんまり好きじゃないみたいです(笑)。一番苦手な練習はランニング、と。オリックス時代の準備体操もずば抜けていいかげんでしたが、果たしてそこは息の抜きどころだったんでしょうか。
わ行
中嶋さんの得意技(笑)。
「どうしてそんなに忘れちゃうんですか?」(by中井美穂)
「それがわかったら忘れないと思います」(by中嶋さん)
・・・ごもっとも。というわけで、その華麗な遍歴のごく(?)一部を。
>>マスク@
キャッチャーフライを捕るため、一塁側ベンチ前でマスクを捨てたことを忘れる。
定位置に戻り、そこにあるマスクを拾おうとすると審判が「それ、俺の」。気がつけばあさって方角に落ちている自分のマスク・・・。
>>マスクA
藤井寺での開幕戦が雨で中止になり、西宮(?)に帰ってきたところ先日洗って干したマスクがそのまま置き忘れられている。しかも藤田捕手の分まで。もし試合が開催されていたらどうなっていたのだろうか。怖い。
>>ユニフォーム
'89、オールスター初出場のときのこと。
藤井寺でのアウェイゲームからそのままの試合だったため「ホーム用ユニフォームを忘れるなよ」と言われて「そうか」とカバンにしっかりとホーム用のユニフォームを入れ・・・代わりにアウェイのユニフォームを忘れてしまったらしい。
>>スキー場取材すっぽかし事件
aiの項にも書きましたが、自主トレのスキー姿を取材してくれるはずだったaiの記者さんに待ちぼうけを食わせてしまった話。この件については待たされたご本人の鉄矢多美子さんが二通りのコメントをなさっているのだが真相はううむ。
>>'95年オフの契約更改を忘れてた事件
その日中嶋さんは忘れ物をとりに事務所に行ったら誰かに今日、更改日じゃなかった?って言われて初めて気付いたという事があったそうです。
その後に用事のあったおエライさんをイラつかせつつ待たせ、一人は何と待ちきれずに帰ってしまったとか・・・。いちおうすっぽかしはしないですんだようですが、すごい。すごすぎる。
>>少し内容が食い違っているけれど、同じ話を神戸新聞より
“中嶋が、神戸市西区の合宿所で三度目の契約交渉に臨み、前回提示と同じ倍額の年俸5千6百万円で更改した。
昨年、101試合で打率2割6分7厘の中嶋は、この日に予定されていた話し合いが契約交渉とは思わず大幅に遅刻。ジャージ姿で自主トレに来て突然の更改になり「今日は交渉じゃないと思っていた。金額はもう話しがついていた。倍になったし、これ以上はあきらめた」と話した。”
自主トレにしろ忘れ物にしろ、とりあえず青濤館に来てて良かったね・・・。
関西のスポーツ紙では一面に取り上げたところもあったらしい。うわー不名誉(笑)。
中嶋さんが毎年自主トレを行っている、鳥取市内の予約合宿制トレーニング施設。
プロ野球選手では中嶋さんを含めて8人(他はBWイチロー、藤井さん、大島さん・D山本昌、野口、岩瀬・T弓長)が利用している。
ここしばらく、中嶋さんの打席時のテーマはこのバンドだった。西武時代'99頃から〜'02までがずっと「JUMP」で、ベイスターズでは「RIGHT NOW」だった。
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