* njm.辞典 *
中嶋さんにまつわる小ネタ集。前半あ〜た行。
あ行
中嶋さんの出身県。全国でも平均睡眠時間と酒豪遺伝子と祭りの多さがダントツという統計データがある。
いつだったか、故郷で自慢できるものは?と問われた中嶋さん。間髪いれずに「水・米・酒!」とごく明快に答えていらっしゃいました。(他のときには「食い物がうまい」とも。)私は家人の転勤等の縁があって何度も訪れていますが、確かにおいしいものが多い、いいところです。
中嶋さんは暑がりのようです。ユニフォームが長袖から半袖に変わる時期が他の選手より早く、秋口にまた長袖へと戻る時期は他の選手より遅いのです(・・・近年人並みになってきた気もします)。加えて言うなら汗かきでもあるようです。顔に落ちてくる汗を指で拭う、手の仕草が好きです。
'97年オフ、中嶋さんがメジャー挑戦した際の代理人。当時オリックスに在籍していたトロイ・ニール選手の代理人でもあり、それが中嶋さんと関わったきっかけか。
一時期は殺意を覚えてみたり、はたまた拝んじゃおうかなと思ってみたり、様々な怨念も渦巻いたお方でしたが今となってはどーでもいいです。が、忘れられもしない。'06、捕手で初のメジャー移籍が実現した城島選手の代理人もこの人。
好きで、なおかつ強いようです。ビール中ジョッキ一気飲み5秒!の記録が。酒屋の息子の長谷川シゲも「強いですよぉ」と証言してました。
だけど、'96年優勝祝賀会翌日の試合前に某雑誌のインタビューを受けた中嶋さんがかなり二日酔っていたことも覚えている。夏バテ対策を尋ねられて「ビールで腹ごしらえ?」なんていう発言もありました(笑)。
ちなみに日本酒は、飲むけどあまり好きではないのだとか。そしてビールはアサヒ党の様子。
・・・得意のようです(笑)。
陸上短距離の伊東浩司選手。リハビリ中のワールドウイングで中嶋さんと知り合った彼曰く、“中嶋さんは息抜きのスペシャリストですからね。お前はちょっと力を抜けと、アドバイスしてくれたんです。「顔だけしんどそうにして、やったふりをせい」と、これは実に名言でしてね(笑)。それから急にタイムもよくなったものですから。周りからは「中嶋パワー」と言われていて、ホントに感謝していますよ。”【'97秋、週刊ベースボール】
ひゃー、恐れ多くも日本陸上界きっての大物になんてことを! ちなみに彼は「練習し過ぎるほどしてしまう」タイプなんだそうです。わー正反対(笑)。でもきっと伊東選手にとっては、地道な練習に勝るものはないってことを承知の上での気分転換の言葉なのです、ぐぐぅ。自虐的な私・・・。
自他ともに認めるライオンズ投手会長、29歳の'00まで独身を謳歌、中嶋さんの飲み仲間(証言:東山紀之)でした。
もともと普段から一緒にいたみたいだし、実際の試合でもよく組んでくれる(基本的に)試合出場保証投手の一人でした。この二人のバッテリーでうまく「はまって」いるときのお互いの表情とかはサイコーに面白かった。
'07年で現役を引退、9.28の引退試合での花束贈呈は娘さんと、対戦相手であるファイターズから中嶋さんでした。ハグした背中をぽんぽんと叩いて労っていました。
マリナーズ#51。メジャー移籍以降すっかり超人モードでしたが、'06のWBCで久々の野球少年的笑顔をお茶の間に。これからも素晴らしいプレーを見せてください。
言うまでもなくチームメイトだったせいもあり、中嶋さんとの接点がしばしば見られました。
'95年7月16日、vsダイエー戦。伊藤隆偉投手のケガ治療中断中、マウンドで投球を披露。外野からイチローを呼び寄せる中嶋さんの、ごく嬉しそうな笑顔とやんちゃな仕草が印象に残る。
'96キャンプでは、“「マシン打撃中、突然右打席に立ってバッティングを披露する場面もあったが、『中嶋さんに言われたから、やってみただけですよ。』と深い意味はなし。”【デイリー】なんていう「何やらせてるんだか」な出来事も。
そして私が忘れらないのは、'97オールスター前、スポンサーからの賞品について尋ねられた彼が「テレビ欲しいです。中嶋さんが"獲ってきてオレにくれ"って言うんで」と答え、その発言どおりに二画面ワイドTVをゲットしたとき。大ウケでした。ホントにもらったんだろうか。
'99の松坂投手との初対決前には、「打っても打たなくても、いいピッチャーだったと言ってくれよ」と発言。
イチローのほうはこれまた松坂投手との対談中、「(結婚できない例については)中嶋さんもいますし・・・」などと言及していた('02頃だったか)。
'99オールスターでのインタビューでも「すごい人」つながりをニヤッと笑って中嶋さんにつなげてたり。
中嶋さんをいじめる彼はとても楽しそうだったので、私にとってのイチローはクールよりも笑顔です。ところで、今は懐かしの動物占いが流行っていた当時、本人が自分の一番嫌いなところを「こじかにつめたいところ」と言っていて、中嶋さんはこじかだった。穿ちすぎですかねー。
1970年生まれ、神戸出身。日本陸上界を代表するスプリンター、アトランタに続きシドニーオリンピックにも出場。ワールドウイングで知り合った中嶋さんに良からぬことを吹き込まれたりしていました。現在は現役引退し、甲南大の専任講師に。
通算出場2379試合、ライオンズ一筋22年の現役生活を'03シーズンで引退。'04〜'07は監督。
20年目(当時)のこの方のおかげで、15年目(当時)の中嶋さんは未だ中堅気分でいたらしい。ライバルと言うにも恐れ多い方でした。
中嶋さんは、基本的には色白なほうだと思います。スタンドなど遠目から姿を探すとき、顔が白っぽい人に見当をつければいいので便利です。たとえシーズン中にある程度日焼けしても、オフの間にすっかりさめて白くなってしまいますし。秋田美人ってやつですね。
ところで秋田美人の起源は、江戸時代に西廻り航路の米で儲けた商人たちが金にあかせて連れ帰りまくった新地あたりのお姉ちゃんたちだというのは本当ですか。
緊張気味で中途半端に笑うとき、口の右側だけが上がるためイマイチ人相が悪い(笑)。でもカメラを意識していない映像で見られる全ッ開、の笑顔は最高!
その名の通り、秋田県大館市にある多目的ドームスタジアム。もちろん野球もやる。
隣接するパークセンターには、秋田県出身の大投手山田久志選手や、中嶋さんのオリックス時代のユニフォームなども展示されているとか。
プロ生活13年で、6回出場。'96以外は全て監督推薦。
初出場の'89、2戦目には2安打で優秀選手に選ばれて、100万円と大型テレビをゲット。「このテレビ欲しかったんです。合宿所の自室に入れて毎日見ようっと」とウキウキだったとか。'91には桑田からホームランを打ってたりします。
'89オリックス入団、'01シーズンよりベイスターズに移籍し、'04シーズンいっぱいで引退。
オリックス時代は中嶋さんと同時期に人気・実力を誇り、なおかつ比較的長く独身だったせいか、企画モノなどでセットで取り上げられることが多かった。
か行
たいてい、右手の肘から繰り出される(うまく表現できませんが)。けっこう派手。でも「派手にガッツポーズしてとか言われるけど、自然と出るやないですか」とは本人の弁。自分でもちょっと照れてる? 性格そのBが出てますね。
・・・発生するのは試合終了時とは限らないので、たまにはらはらする(笑)。
好きらしい。カラオケがまだ飲み屋のオプションだった'89年ごろすでに「(ストレスがたまって)爆発しそうな時は、飲みに行って歌いまくります。」【プロ野球ai'90年1+2月号】と。
そしてうまい。長谷川シゲが「(全部いいとこ持ってかれるから)一緒にカラオケ行くのイヤになる」とコメント。オフの歌合戦でも歌唱賞とかもらっていた。
そう言えば、'96年春キャンプにて、コバと壮と3人で「LOVE YOU ONLY」(byTOKIO)を歌っているのを見たことがあります。あれは歌唱力がどうとかいう以前に、バット持った3人のかけあいが面白かった。
最初に覚えた関西弁は「えらい」だそうです。「大変」だとか「しんどい」みたいな意味です、念のため。・・・やっぱり練習がえらかったんでしょうか(笑)。
“「初めて大阪弁に触れたときは驚きましたよ。テレビかなんかで聞いてどんなものか知ってはいたけど。普通にしゃべっていても、怒ってるみたいな感じがするでしょう」
それが今では、寮にいると自分もつられてついしゃべってしまう。” 【プロ野球ai'90年1+2月号】
そのころの中嶋さんを取り巻いていたのは関西弁であっても大阪弁じゃないと思うんだけど(そこらへん神戸出身の私の母がうるさい)。
そして現在の中嶋さんは11年間暮らした関西を離れてなお、おそらく普段の会話は関西なまりが主体だと思われます、多分(そのとき一人称は"俺")。インタビューなんかでは昔から標準語でしゃべってますが(一人称は"僕"になる)。無意識であろうその使い分けがなんかかわいい、とか思ったりして・・・。
今日の中嶋さんを中嶋さんたらしめているこのポジション。実は高校1年まで外野手オンリーだったのが、その地肩を見込まれて、2年から監督命令で捕手に転向(異説あり)。
最初は「いやでいやでたまらなかった」捕手業が、「プロに入って1〜2年経ったころからだんだんと好きになっていった」ようで、今では背番号などこだわりも少なからずあるようです。
中嶋さんからは切っても切れないキーワード。数々の逸話があるようです。("社会人テスト"、"マウンド上で直球勝負"、"キャッチボールがスタンド・イン"etc・・・)
逸話の中でも比較的初期、'89のものを、本出典不明の孫引きでひとつ。
“『投手陣も真っ青、中嶋捕手』
オリックスは、ファンサービスの一環として「ブレ―ビーに挑戦」と銘打って、ファンとブレ―ビーのスピードガン競争を、試合前のアトラクションで実施している。その競争に中嶋捕手が特別出場。1球目が144キロ、2球目が145キロ。スピードガンの数字がスコアボードの電光掲示板に示されると、スタンドから「ウォーッ」と大きなどよめきが沸き上がった。」3球目は二塁ベースから捕手に向けてバックホーム。これがなんと141キロを示し、スタンドはさらに沸いた。
145キロの速球を見た上田監督は「長いことこの世界を見てきたが、あんな速い球を投げるキャッチャーははじめてだよ。すごい肩しとるよ。十二球団でもズバ抜けているよ、彼に迫るのは今はいないよ」とホクホク。
オリックスの投手陣はほとんど130キロ台。球の速さでは中嶋捕手に勝てる者はいない。本人はニヤリとするだけだが、相手チームの走者には怖い存在だ。”【プロ野球ai'89年11+12月号】
ハタチの頃ですね。写真には「人気も上昇中の中嶋くん」とかいうキャプションがそえられています。
'86西武ライオンズドラフト1位、ジャイアンツを経て、'06オリックス移籍でパリーグに復帰。学年もチームも別だったにも関わらず中嶋さんと仲がよかったらしく、'93年に中嶋さんが大ケガしたときに「松葉杖ついて出てこい!」と言ったとか。このエピソードで私の清原株が急上昇。西武と阪急の選手はもともと仲がいいんだといつか聞いたことがありますが、高卒で早々にレギュラー定着した野手という共通点もあったせいでしょうか。
けっこう変遷が激しい。'90年の週ベ年鑑ではまだ持ってないみたいだけど、最初はフェアレディZ、そしてポルシェ・カレラ(ポルシェ928)、'92の夏から2ドアの黒いベンツ(ベンツ500)。その後「ベンツはベンツでもしょっちゅう変わってた」という目撃談もありつつ、少なくとも'95オフの番組では自ら"ベンツ"だったが、'96〜'98あたりは紺のポルシェ・ターボ。'01ごろはまたベンツのワゴン(シルバー)で、'03にはベンツAMG(黒)・・・実際はもっとあるんでしょうか。独身を謳歌した選手ならではですね。
働き盛りの時期に大きなものが2年続きました。
全てを知ることなど不可能ですが、とりあえず登録抹消になるほどの大きいものについて。
@'93年7月7日vsロッテ戦、in千葉マリンスタジアム。ロッテの外人メル・ホールの本塁突入をブロック、右足脛骨及び腓骨を骨折。一週間後の13日、手術。全治3ヶ月、シーズン後半を完全に棒に振る。
A'94年、3月中旬には一軍に合流し、オープン戦・開幕以降ともに絶好調だったのだが・・・5月7日vs日ハム戦、inGS神戸。走塁中に一塁ベース付近で転倒し右肩鎖関節脱臼、手術。7月13日に竜野市(兵庫の郊外)の病院を退院。しかしシーズン中に一軍合流は(多分)できず、ファーム優勝の現場に居合わせることになる。
B'98年、9月8日vsオリックスinGS神戸。キャッチャーフライを追った際、バットリングを踏んで(・・・)捻挫。全治約1ヶ月。優勝を賭けた天王山に働けず、しかし日本シリーズには間に合う。
'99シーズンもつき指とか言われていたものが骨折!だったりした。大変な仕事だ。
あと、「'90夏に手首を痛めてひと月休んだことがある」とは本人談。
ABとA、2通りのデータが見られますが、正しくはAB型です。本人も認めているし、元BW小林投手が中嶋さんについて言及した際にも「典型的なAB型」と発言していました。元L河田選手も同じように評していたそうです(「二重人格」とまで・・・)。
・・・管理人もAB型で、性格については似たようなことをよく言われます。ちょっと複雑。
実は・・・というのもアレですが、中嶋さんは'91年の6月に月間MVPを獲得してます。
その月の成績は打率.376・4HR・20打点というすごいもの。当時の縮刷版をめくると毎日が二塁打で、もう夢のようです(笑)。
ちょっと意外かもしれない、中嶋さんが小さい頃なりたかったもの。「長男でもあるし、安定した手堅い職業を」などと考えたのは、やはり農業という仕事でご両親が苦労されるのを見ていてのことなのでしょうか。
中嶋さんは子供好きです。子供相手には愛想が明らかに良くなるのですぐわかります(笑)。
'93オリックスドラフト1位。#22、投手。'05オフに楽天を自由契約。
チームメイト時代ははとてもわかりやすく仲良しだった彼が中嶋さんについて語ると・・・
「オリックスに入ったときからかわいがってもらってます。キャッチャーだから、ピッチャー同士とは違った話ができるんですよ。その日の試合の場面場面について、試合が終わってご飯食べに行ったときに、どっちからともなく話することだってある。ときには厳しいことも言われちゃうけどね。僕、態度デカイってよく言われますから(笑)。中嶋さん、僕より2つ年上だけどお互いタメ口でしゃべるんで、度が過ぎたら手が出てきますしね。中嶋さんはどんな人かって言うと典型的なAB型!いいかげん!すぐ何型かわかりますよ。」【プロ野球ai'97.11月号】
この発言が、中嶋さんのプロフィールにおいてしばしば見られる「A型」の表記を誤植だと教えてくれます。
中嶋さんの言うとおり態度デカイ、のは事実で、年上の中嶋さんに対する二人称が「サトシ」だった。
'98キャンプ、放送局を越えたやりとり「元気ですか〜?」⇔「電話ください。」には笑った。
>>「オマリーの14球」
小林投手を一躍全国区にしたエピソード。
'95年、対ヤクルトの日本シリーズ第4戦。延長11回裏、それまで3敗「打たれれば終わる」この場面で、小林−中嶋バッテリーは14球もの死闘の末、四番打者オマリーから三振をもぎとる。
当時野球に興味のなかった私は、後にビデオで見たんですが・・・マイフォーカスは当然中嶋さんに。三振を取った瞬間のガッツポーズ、忘れられません。
さ行
「中学校の友達が考えてくれた」そうで、おそらくプロ入り以来、基本的にチーム名と背番号部分以外は変わっていないようです。'06、初めて手にした直筆のそれはちょっと見た目が違った・・・のですが、お願いしたのが硬球だったのでペンが滑ってしまっただけだと思います(笑)。
オリックス'90ドラフト6位。ジャイアンツを経て'01シーズンいっぱいで現役引退。
青森出身が関係しているのかどうか、中嶋さんと仲が良かった。「ナカジ」と呼んでいたようです(昔イチローが「二軍でお世話になった佐々木さん」て発言をしていたこともあった)。
そして巨人では清原にかわいがられていた。ここに何らかのラインを見出すのは強引でしょうか。
現日本ハムファイターズ#81、投手コーチ。'77ドラフト1位入団、現役では阪急一筋22年。中嶋さんを「育てた」投手の一人。>>『大人の野球』
'95.8.26にノーヒットノーランを達成、その相手役を務めていたのは中嶋さんだった。ゲームセットと同時にマウンドに駆け寄って、ぴょんぴょんジャンプして喜んでいた捕手の笑顔にノックアウトされた人も多いらしい。'06〜'07はまた同じチームで師弟の間柄でしたが、弟子もすっかりトウが立ちました(笑)。
かなり有名な、中嶋さんのアダ名。中嶋さんのプロ入り当時、すでに「サメ」と呼ばれていた中日の中村武志捕手に顔が似ていることから「コバンザメ」と呼ばれ、そのうちただの「サメ」に(でも私は中村捕手が「サメ」と呼ばれているのを聞いたことがない)。
あんまりポピュラーなものだから本人も納得済みの呼び名だと思っていたのですが・・・「高卒のペーペー時代に(山田久志・佐藤義則両名に)ムリヤリつけられた」アダ名であって、目上の人に言われるのは仕方ないけれど、実は本人はそう呼ばれるのが好きではないそうです。「定着するアダ名はいいアダ名」だと思っているんですけど、ご本人の意思はなるべく尊重したい。
>>ポピュラーさの一例・・・'98年2月上旬ニッカン、オリックスのキャンプ小話より。
“『西武にFA移籍した中嶋が"さらし者"?』
米村コーチがダッシュの前に魚ヘンの漢字の読み方クイズ。わかった者から順番に抜けていける仕組みだ。その中で「魚ヘンにパスボールは?」と問われた選手が一斉に「中嶋!」。ちなみに中嶋のオリックス時代のアダ名は鮫(サメ)。敵になればプロは冷たい。”
・・・っていう記事ですが。これ、冷たいのかなぁ? 消えない親しみから来るからかい、じゃないの? ちなみに中嶋さんは東尾カントク以下西武のコーチ陣にも「サメ」と呼ばれていました。'06、同い年の奈良原選手からも「サメ」呼びを確認。ただ、'07のキャンプでは名付け親の一人であるはずの佐藤コーチが「中嶋」と呼んでました。もうコーチ同士だからかしら。
中嶋さん23歳ごろ、オリックス時代の話。選手が移動に使うチームバスにあったもの。
「かつての(当時ケガで不在)中嶋選手の"指定席"。いつも一番最後に乗ってきて、出入り口のステップに立っていたそうだ。」【プロ野球ai'93年11月号】
バス内の席順には"ベテランしか座れない席"とか、"若手は椅子の小さい後ろの方"だとかいろいろあるのですが、よりによってステップ。そのころの中嶋さんって、確かに年こそ若いけど確固たるレギュラーだったはずなのに、どうして?・・・って、「一番最後」に乗ってくるのがいけないのか。
中嶋さん強肩伝説、その壱? 高3の秋に住友金属のテストを受けたときのこと。遠投テストで投げたボールは両翼93mのレフトにスタンドイン。係員が「測定不能!」。
中嶋さんが自分の肩が強いと自覚したのはこれが最初だとか。・・・ホントに〜?
高校卒業後はその予定でTDKに内定も出ていたが、ドラフトにかかり円満に辞退。
オリックス時代の話ですが、「ヒマなんで」ボ〜ッと観戦していたこともあったとか。どこの試合だったんだろう。
苦手、と御本人があちこちで言っていますね。子供のころから嫌いだったらしいです。確かに、「撮られることを意識している」ものでは表情が硬いことが多い。特にファンとの記念写真の類では、どれも判で押したように同じ表情で固まっている(笑)。
ソースによって変動するが、例えば'97オリックスイヤーブックだと「競馬、麻雀、ゴルフ、スキー」。'98シーズンなんかはちょこちょこ馬の話が出ていた(from週ベ)。
ここに「寝る」を加えてもいい気がする。
いわゆるゲンかつぎ。よく「何でも左側からする」とか言ってる人いますよね。
中嶋さんはといえば、'93春には「ゲームの時は靴下類に関しては新品にする。アンダーシャツはそのまま」と発言していましたが、'00夏には「無いなぁ」と変わってました。
投手が多い新人王。そんな彼らと中嶋さんは妙に縁がある。'99の松坂投手は言うまでもなく、121試合出場で正捕手だった'89年、新人王投手はオリックスの酒井投手だった。129試合出場でこれまたバリバリの正捕手だった'91年の新人王投手は、元メジャーリーガー長谷川シゲ。そしてオリックス優勝の'95年、圧倒的な力を見せつけ新人王となった平井投手をリードしたのも中嶋さん。19年の捕手生活で通算4人。結構な確率じゃないのかな・・・?
とは言っても、平井投手の初勝利のパートナーは中嶋さんじゃなかったり、松坂くんの15Kのアシストが伊東さんだったりすることも、一応ちゃんと挙げておきましょう。
かなり、うまいらしい。野球以外の特技は?と問われてしばしばこの答え。
以前は自主トレのメニューにも含まれていたらしいが、そのスキーヤー姿を取材してくれるはずだったaiの記者さんをすっぽかしてしまったのは有名な話。かもしれない。
'93・3月のブルーサンダー誌上で、ファンからの「アイスバーンが上手く滑れないんですけど、どうしたらいいでしょう?」という質問に「最初はアイスバーンを避けてはどうでしょうか?」という非常に彼らしい(笑)回答をしておりました。 いや、この回答って本当はもっと長くて「スキーはとにかく怖がらず、何度でも滑って雪面に慣れることですね」とか普通のこともちゃんと言ってます。
好物は麺類、魚。嫌いなのは漬物。ケーキと和菓子だったらケーキが好き。他に何か知っている方いませんか?
'97オリックスドラフト1位。トレードで'01からYB、'04にはヤクルトにテスト入団。'05シーズンで現役を引退。
プロ入り初登板も中継ぎでの初勝利もリードは中嶋さん。先発初勝利を決めた試合をリードして、勝ち越しヒットを打ったのも中嶋さん。
チームメイトだった期間は1シーズンのみでしたが、やはり最初に関わった捕手だったせいか、'00ぐらいの某雑誌インタビューでも「プロに入ったときは中嶋さんにいろいろ教えてもらいました」という発言が。
初の国立大出身のドラフト1位と騒がれ、卒論のためキャンプに遅刻。確かに頭が良くて考え方がしっかりしていて、だけどおそらくいわゆる変わり者で、私は大好きでした。
ニッカンより。西武は、'99年南郷秋季キャンプにて、少年野球教室の講師を務める。そこで、「相手がスクイズをしかけてくると思ったら、どうすればいんですか?」という少年バッテリーからの質問に「一番いいのは、バッターめがけて投げること! そうすれば、反射的に打者は逃げるし、当たれば走者は三塁に戻されるだろ。当てるのが一番だ。」などというイケナイ答えを返しておられました。東尾監督も使った技だそうですが、子供相手にそれはちょっと・・・(笑)。
'91年9月、週ベの読者投稿コーナーに「宿泊先のホテルでちょっとHな本『スコラ』を買っているところをファンに見られ、ファンの間でのニックネームが『スコラ』になっていたオリックスは中嶋選手に一票」というネタが載って以来、便乗・増長した投稿が続出。かなりしばらくネタにされ続け、中嶋さんはとっても迷惑したというできごと。
「スコラ」は、車・ファッション・スポーツなどの情報が掲載されている男性情報誌。確かにヌードグラビアもあるけどたいしたことない(笑)し、中嶋さんも「好きな車の記事が載っていたから買ったのに・・・」と困惑、ご実家にまで心配をかけてしまったとか。【BT'92.8より要約】失礼しちゃう話ですよね、もう。
だから最初は書くのやめようかと思ったんだけど、ただ「スコラ」って言われているのだけ聞いて事情もわからずムダに嫌な思いをしてる人もいるかもしれないからさ(私がそうだった・・・しかしそれならば某クイズで「あの単語」の共通点を堂々と見抜いてはいけないという噂もあるが(爆笑)。
'66年阪急に入団、引退後の'76年から同球団の指導者に。中嶋さんが入団した'87年には打撃コーチでした。その後は近鉄‐日ハムの指導者を経て、現在は解説者。
中嶋さんについて「もっと真剣に取り組んでいたらいいバッターになっていたのに、しかし淡泊だから・・・」などとおっしゃってたらしい。前にも「私は彼のバッティングを向上させる為にどれだけの努力をしたか・・・」なんて発言も。
実際のところ、なんて知らないし知りようもないので、推察してみる。(悪趣味?)
@自称「大ざっぱの、超アバウト人間」らしい。確かに神経質には見えない(笑)。
A他のところで「自己分析してください」と言われたときには「竹を割ったような性格」と答えていた。
B「野球をやってるときは熱いけど、野球やってないときはおとなしい」(byイチロー・松坂)
C「二重人格」(by河田選手)。「裏表がある」というより「二重」なのでしょう。なんか笑えます。
'79生まれ、BRAVA所属のモデル・タレント。ベイスターズガールとして活動した'03に中嶋さんと知り合い、2004年12月7日にグアムの教会で挙式した中嶋さんの奥様です。現在は中嶋愛の名前で活動中。
中嶋さんの入団当時の背番号は「53」。その番号は前年まで3年間星野さんがつけていたものでした。そして中嶋さんも3年目の'89シーズンからは「27」に昇格。'97シーズン終了後にオリックスを退団するまでの9年間、その番号を背負う。私がファンになったとき彼がちょうど27歳だったせいもあり、なんだか思い入れのある数字でした。
そして西武入団時に空き番号の中から自分で選んだという「5」を2年間つけたあと、'00シーズンからは「22」に。いわゆる「捕手番号」にこだわる中嶋さんが「僕から和田に頼んで換えてもらった」という、背番号トレードでした。ありがとべんちゃん。ホントは27が欲しかったらしい、そりゃムリだ(笑)
その後'03はYBで「35」、'04〜は日本ハムで「32」。
た行
ドラフト当時のデータでは、180cm70kg。このデータ以降、身長はずっと181だったが、'05あたりから182に・・・)
'90イヤーブックでは77kg。同年週ベ選手年鑑では80s。
'91イヤーブックでも77kg。
'92イヤーブックでも77kg。
'93イヤーブックでも77kg。
'94週ベ年鑑では84s。
'96イヤーブックでは84s。
この羅列からわかるのは、「あんま信用できない」ということのみ(笑)。それにしてもドラフト当時の70kgにはびっくりだ。細い!
現千葉ロッテ#48の左腕投手。'87阪急ドラフト1位。この年の高卒ルーキーは中嶋さんと彼の二人きりだったため、「投手の雑用は高木が全部がやって、野手の雑用は俺が全部やって、結構しんどかった」みたいなことを中嶋さんが言っていた。
しかしなかなか活躍できず、オリックス〜ダイエー〜ヤクルトを経て'02から現在のロッテへ。
'99年11月、出身地別東西対抗という企画で中嶋さんとバッテリーを組んでいるのを見て、双方の(特に高木選手の)流転した運命を思ってみたりしましたが、今では中嶋さんも負けず劣らずですね。
阪急ブレーブスに在籍した選手のうち、現在も球界に残っているのは中嶋さんと彼の二人だけ。
'64生、'87巨人ドラフト3位。'92、藤田浩雅捕手とのトレードでオリックスへ。中嶋さんのケガの間に正捕手を務め、復帰後も併用される。'96の日本シリーズではオリックス投手陣を支えた。ライバル中嶋が西武へ去るも、仰木監督の若返り方針からか出番を失い、'98いっぱいで現役を引退。その後、巨人の二軍コーチ等を経験。
中嶋さんの出身中学。
ご存知、中嶋さんの出身高校。プロ入り選手は中嶋さんが二人目。一人目は菅原勝矢さんとおっしゃる、巨人V9時代の選手だそうです。スキーでは伝統ある強豪校。
中嶋さんの出身地。読みはたかのすまちでしたが、平成17年3月に鷹巣町を含む旧北秋田郡の4町が合併し、北秋田市が誕生。同時に住所表示から「鷹巣町」の表記は消えてしまいました。それでも秋田の古くからなる交通の要所です、地域名として「鷹巣」の呼称は残るのでしょう。
JR奥羽線(鷹ノ巣)と秋田内陸縦貫鉄道の乗り換え駅があり、高速バスが止まり、平成10年には空港もできました。綴子大太鼓で有名。
いつか、BW高橋功一が「地形からくる風の関係で、雪がたくさん降る土地だ」と言ってました。
ところで秋田弁と鷹巣弁は違うものだそうです。ふうん。
現米セントルイス・カージナルス#99。外野手。'91オリックスドラフト1位入団。'01オフにFA宣言し、カージナルスへ。2006年シーズン、日本人初のワールドチャンピオンに!
ゴールデンルーキーとしての入団当時、一番仲が良かったのは学齢ひとつ違いの中嶋さんだったようです。「学年も年数も下のくせに態度がデカイ!」とぼやかれていたけど。
中嶋さんの西武移籍初年度'98「ちゃんと自主トレできてるのかなあ」と心配してくれていたのが、遠い日のことのように思えます。
中嶋さんは当初、高校卒業後の進路として地元の社会人野球チームであるTDKに内定が決まっていました(TDK自体は東京の会社のはずですが、大きな工場が秋田にあるので秋田の社会人野球といえばTDKだそう)。ご存知の通り阪急から指名されたため、円満に辞退して今に至ります。
そのTDK、2006年夏の第77回都市対抗野球で見事優勝!東北勢では初の快挙だそうです。
元近鉄の、佐野重樹投手。自らをネタに常に笑いを追及していた(嘘)彼が編み出した、究極の必殺技。投球アクションの際、帽子を飛ばしてハゲた頭を見せ、打者の打ち気をそぐ、という・・・。
パリーグ東西対抗など、エキシビジョン系の試合では数度披露したものの、公式戦ではさすがに封印されていた、のですが。
実は、公式戦でも不完全ながら(帽子を飛ばしたのではなくずらしただけ)一度だけ使用されたことがあるのです。映像には残っていませんが、その唯一の犠牲者が・・・中嶋さんでした。「笑って見逃しました。」だそうです。
それにしても佐野投手の人選は実に的を射ている、普通ほとんどの選手が「怒る」か「無視する」だと思うんだけど(笑)。
'92年のケガのリハビリ以来、中嶋さんがほぼ毎年自主トレを行っている"ワールドウイング"という施設がある場所。たいてい藤井さんが一緒だった。
「体育の授業でバレーボールしてたら野球部の監督に呼び出されて、開口一番『おめでとう!』と言われた。『どこですか?』って聞いたら『阪急3位』って。かかる事は聞いてたけど、指名された時点では、社会人に行こうかなって気もあったりプロ入りを少し決めかねていたから割とさめた感じでした。その頃は秋田でも自分の名前が結構知られてたんで、友達の反応は『あ、やっぱり』って感じでしたよ」―【BLUE THUNDER '92.11】
ヤクルトのスカウトは高校生捕手として中嶋さんと飯田哲也(当時捕手)とどちらにしようか迷ったが飯田を選んだとか。
当時の週刊ベースボール、'86ドラフト特集号のワンポイント紹介によると、
“今年残した成績が.423で20ホーマー。遠投110メートルの強肩と俊足が武器。”
打率やホームランのデータはまあ地方大会のみのものということで。
しっかし俊足って形容詞はかなり新鮮だったんですけど(笑)。・・・昔は速かったのかな?
'96年、イチローをメインにしたハウス食品のテレビCMに、田口、平井、小林、とともに出演。ハワイでの撮影は「結構、緊張しました」とのこと。
大勢のうちの一人だし、それほどちゃんと映ってた気はしないが、こちらは勝手に心臓をバクバクいわせながら見ていました。
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