*Media NJ*

中嶋さんの「メディア露出」を集めて紹介してみます。
「こんな記事持ってる」なんて方は、情報提供いただけると管理人大喜びです。
随時増殖中。


○TV編※管理人の主観に基づいて描写されてます。
 ■金曜Tasty Club('89オフ放送!)
 驚きの、プロ入り3年目終了時。メインキャスター中井美穂の時代、今は亡きフジ「プロ野球ニュース」内でのオフ期間企画コーナーに登場。
 ・・・若い。若いのだが、実はあんまり変わってない(汗)。明らかに散髪したばかりのうなじがカワイイです。
 ■週汗!オリックス('92頃?)
 かつて('92頃?)関西ローカルで放送されていた、オリックス情報番組。西武におけるレッツゴー!にあたるものですな。構成も似ている(・・・むしろこっちのほうが丁寧に作ってるような)。
 私もそれほど詳しくないんですが、数回分見たことが。
 ■番外:サンデーブルーウェーブスタジアム('92.10月上旬放送)
 これはラジオ。1回分しか聞いたことがないので詳しいことは知りませんが。その回では、アナウンサー氏曰く「以前質問があった“中嶋選手はなぜバッターボックスをならしているのか”についてなんですが、本人にちらっと訊いたところによりますと、『そんなことしてますか』という非常にあの、イイ答えが返ってきましてね(笑)」
 ・・・なんて予想を裏切らない人なのだろう(笑)。そういうとこがいいんですけどね。
 ■プロ野球12球団対抗歌合戦
 各球団から選手が3人ずつ出て、歌合戦をするというタイトルそのままの番組。トーナメント形式なので、勝ち抜けば歌う姿が最大3回見られるが、最初に負けてしまえば1回きり。審査方法はものまね歌合戦のそれに似ている(「じってんじってんじってんきゅうてん、じってん・・・よんじゅうきゅうてーん!」)。BW時代の中嶋さんはそれなりに常連だった。
 ●'90オフ('91新年放送)第5回らしい。
 出場メンバーは、パンチ佐藤和弘、藤井さん、中嶋さんの3人。1回戦では、藤井さんと2人で「真夜中すぎの恋」(by安全地帯)を歌う。藤井さんとハモってるとことかけっこう上手いと思うんですけどファンの欲目ですかどうですか。衣装、ボーシはやめといたほうがよかったと思うけど(でも本人が決めてるわけじゃないみたいだからなぁ)。
 2回戦はパンチ演歌独壇場。中嶋さんは藤井さんと二人でスーツ(っつーか背広?)着てお休み。でも一瞬だけ映った、床に積った紙吹雪を両手ですくい上げて、すごく嬉しそうにパンチに浴びせている笑顔がとってもキューツでした。残念ながらそこで敗退。
 あと、メイキングっぽくホテルの部屋で練習する姿がちらっと映るんですが、ブレーブスのTシャツとか髪のハネぐあいとか仕草とか、いろんなとこにあどけなさが残っててとてもかわいらしい。なんてったって21歳。
 ●'91オフ('92新年放送)
 メンバーは前年度と同じ。1回戦がパンチの独壇場、藤井さんと中嶋さんは二人で白いタキシード(笑)を着て、後ろで一つのマイクに向かって「ワワワワ〜」のコーラス要員(笑)。
 そして2回戦が噂の中嶋さん独唱、「はじまりはいつも雨」(by ASUKA)。ちょっとうっとり・・・ですがどうして、マイクをアゴにつけて歌うんですか中嶋さん。残念ながらここで敗退するも、中嶋さん個人が「歌唱賞」を受賞。
 ●'92オフ('93新年放送)
 この年のメンバーは高橋デカ、長谷川シゲ、中嶋さん。1回戦はその3人で「BOMBER GIRL」(by織田哲郎)。審査は同点で、ジャンケンで敗退。
 ●'93オフ('94新年放送)
 この年のメンバーは古溝克之、長谷川シゲ、中嶋さん。1回戦は古溝さんがそのまんまでシゲと中嶋さんがなぜか“スーパーマリオ”の着ぐるみ(ちなみにシゲがマリオで中嶋さんがルイージ)で「夏の日の1993」(by Class)。そしてそこで敗退。なんつーか、見るべきところの全くない年と言っていい。それにしてもシーズン後半ほぼツブれていた選手がこういうところにいていいのだろうか。
 ●'94オフ('95新年放送)
 この年のメンバーは田口壮、コバ小林、中嶋さん。一気に年長格、になったのはいいんだけど、この年の中嶋さんはその前年以上に試合に出てなかったはず(汗)。これから売り出す予定の若手とかなら出てなくてもありだと思うけど、よっぽど他に人材がいなかったのだろうか(とはいえ、このときの中嶋さんもまだ25歳なんだけど)。けっこう今('00現在)の顔になっている。
 1回戦は「LOVE YOU ONLY」(by TOKIO)。これまで、歌合戦の中嶋さんはそれほど緊張はしてないことが多かったけど、ここではいつもの目が泳ぎ気味でほとんど動かないあの表情。ノリもひとりでちょっと悪い、ギターを持って弾くフリ・・・もしてないじゃん中嶋さん!(笑)強敵イロモノ近鉄を相手にどうにか勝ち抜き、2回戦は「CROSSROAD」(by Mr.Children)、1回戦にくらべたら表情があった。どちらの曲も3人そろって歌っていたが、2回戦はどー見ても中嶋さんが主役ってカンジだった(中央後方にいたのが歌いながら前に出てくるし・笑)。ここで敗退も、中嶋さんってばまた個人で「ゴールデンマイク賞」なるものを受賞してた。ところでマイクをアゴにつけて歌う癖、変わってなかったですね。
 そしてこの年を最後に出ていない・・・はず。
 ■スポーツ超人選手権('95年12月放送)
 いわゆる『筋肉番付』系の番組。各界からプロスポーツ選手、そしてSMAP(懐かしや森且行)などが出場。収録は神奈川県川崎市。
 中嶋さんは金網に囲まれた狭いスペースでYS真中とドッヂボール。出場者全員のユニフォームであるTシャツはよくめくれて「胴なんて滅多に見れないなあ」と思わず見つめてしまった。相手のボールから逃げるときのナサケなく怯える表情、ポイントを取った時の笑顔とガッツポーズ、くるくる変わる表情がホントにもう。
 接戦の末に敗退、「惜しかったですねえ!」とのインタビューアーの問いに、中嶋さんは「やっぱ捕るのが下手なんで・・・ダメでした」と。会場は笑っていたようだが、TV的にはちょっとスベッたか?中嶋さんってばこういう系統のギャグをしばしば飛ばすけど、ハズしてしまうことも多いので見ていてツラいことが(笑)。
 ところで出場選手全員に運動能力テストが行われたようなのですが、中嶋さんは握力部門(右)において74.0kgで堂々の一位。プロレスラーや体操選手もいたのに・・・すごーい!
 ■田尾スポ
 かつて関西ローカルで放送されていた、その名のとおり田尾安志がメインのスポーツニュース・・・?バラエティ色濃し。内容も関西寄りで、BW時代の中嶋さんがよく出ていた。レギュラーアナウンサーは梅田淳。
 ●田尾スポねるとん('95.12月放送)
 クリスマススペシャル企画、そのまんま、スポーツ選手同士の「ねるとん」(笑)。男性陣はプロ野球関西三球団(T=井上貴朗・高波文一、Bu=高村祐・佐野重樹、BW=中嶋聡・小林宏)と、Jリーグのガンバ大阪から。女性陣はシンクロの奥野史子やバドミントンの陣内貴美子、プロゴルファーやプロボウラー(助っ人で女子アナもいたけど)。
 よく考えると本家「ねるとん」をちゃんと見たことがないので断言はできないが、、おそらく似たような進行っぷり。
 最初のメンバー紹介、小林のときに「オマリーの14球は伝説化、あれ以来さぞかしモテるでしょう」みたいな話が出る。そして次の中嶋さん、「飲み屋に行くとすごくモテるそうですね」という田尾さんの言葉を、本人が「いやいや、小林にはかなわないスね」とサラっと流したところ、田尾さんは「またまたぁ」と笑い、梅田アナは「とんでもない!」といった様子で、「そりゃね、モテるモテないなんてね、(声を殺して)こちら(小林)が素人さんなら、こちら(中嶋さん)は玄人さん」と発言。「なーんだそりゃ!」と中嶋さんに笑いながらドツかれてました。
 この日の中嶋さんはちと髪切りすぎ。カッコも「もちょっとカッコつけてきてもよかったんでないかい」というナチュラルぶり。「理想のタイプ:なし」「彼女イナイ歴:数え切れない」となってました。
 ・・・この調子で全部書いたら、どんだけの量になるんだか。
 ●田尾スポ釣り対決
 釣り好きの田尾さんならではの企画。田尾・西山喜久恵コンビ、Bu佐野・高村コンビ、BW中嶋・小林コンビが対決。競技参加6人のうち、中嶋さんとキクちゃんの二人だけが初心者。キクちゃんにイヂメられ続ける中嶋さんがけっこうかわいい。
 ■ハンマープライス('96.10.26放送)
 途中から見ただけなんですが。「オリックスが日本一になった場合のビールかけに参加する権利」というのを落札した方たちが中嶋さんと大島さんのファンだった関係で、ビールかけ中の中嶋さんがけっこー映った。さすがにゴキゲンのかわいい姿がいっぱい見れてハッピーだった。
 ■とんがりコーン('97放映)
 イチローをメインにしたテレビCMに、田口、平井、小林、とともに出演。ハワイ?での撮影は「結構、緊張しました」とのこと。でも大勢のうちの一人だし、それほどちゃんと映ってた気はしない。しかし前触れなくテレビで見かけた日のショックも忘れ難い。
 ■レッツゴー・ライオンズ
 TBS系列でシーズン中の土曜早朝(6:00〜、第4土曜のみ5:30〜)に放送されている、ライオンズ情報番組。けっこう昔からやってるらしい。残念ながら関東圏でしか見れない模様。
 その一週間の試合結果ダイジェストの他に、その週ごとの特集や選手への質問コーナーがある。案内役のアナウンサーとアシスタントがどうにも寒い。
 ●あんたが大将!('99.? 放送)
 その日取り上げた選手の子供時代について尋ねるコーナー。
 小学生の頃はバレーボールをやっていたが、人数不足?で部がつぶれてしまったために野球を始めたこと。良いことをしても陰に隠れて、悪いことをしてもばれなくて、いつも二番手的存在だったとか。そんな話をしていたそうです(私は見たことがない・・・泣)。
 ●特集「中嶋聡1000試合の軌跡」('99.7.10放送)
 【レポーター= 中嶋選手= ナレーション= ( )内は中嶋選手の行動】
 まず、中嶋選手だけが映りながら・・・
レ:「中嶋さん、まず1000試合出場達成おめでとうございます。」
中:(帽子に軽く触れてから)「あ、ハイ。ありがとうございます。」
レ:「達成した時に花束をもらいましたが、その時込み上げて来た気持ち、というのは・・・どうでしたか?」
中:「いや、もぉ・・・あの時は、あんまり思わなかったですね。もう1000試合・・・の出場した時でも、あ、出たんだなって思いましたし、あれ試合の途中だったんで。(少しそっけなく)次の日の新聞見て何人目とかってよく書いてますよね。そーゆーのを見て初めて思いました。」

 そして中嶋選手の昔の映像(阪急時代)がナレーションと共に流れる。
ナ:「中嶋は87年、現日本ハムの上田監督率いる阪急ブレーブスにドラフト3位で入団。パンチ力のある打撃と、リーグ屈指の強肩で正捕手の座を獲得します。」
 入団時の、上田監督の肩に触れている姿と、初ヒットらしきものを打っている姿と、相手チームのバッターがバントを失敗し、飛び出したセカンド走者を刺し、アウトにするシーンが流れていく。
レ:「大変意義のある、ものだと思うんですよね。ケガの多いポジションで、この1000試合出場というのは。(うなずく) これについては、どう考えてますか。」
中:「そぉ・・・ですね、まぁ・・・おっきなケガもしましたし、その点では・・・よくやれたなと思いますけど。」

 再び昔の映像が流れながら(今度はオリックス時代、キャンプだかの練習で、ピッチャーのワンバウンドの球を何球も何球も体で止める姿が。)
レ:「キャッチャーという負担の大きいポジションで出場を続ける中嶋は、'93年クロスプレーで右足を骨折。さらに'94年も長期間に渡り、戦線離脱を余儀なくされました。」
 流れる映像で、ワンバウンドの球を右肩にあててしまった時には痛そうに、「また手術したところあてたもんな・・・。」と言ったシーンも。
 またインタビューに戻り、この時はリポーターの言葉はカットされ、ただ中嶋選手の答える姿だけ。
Q:「精神的な支えとなったものは?」
中:「けがしても・・・やれるという自信がありましたんでぇ、・・・とりあえず・・・それだけ思ってました。(なぜか怪しげな笑みを浮かべる)」

 そして昔の映像、'95西武との優勝決定戦で、犠牲フライを打つシーンと、最後のバッターをファーストゴロにしとめて皆で抱きつくシーンが流れながら、
ナ:「阪神大震災のあった95年、中嶋は再び正捕手として活躍。チームを優勝に導き、見事ゴールデングラブ賞も獲得しました。」
中:「まぁ、優勝・・・するっていうことがね、一応目標なので、そー・・・・・ねぇ、何とも言えないですよね、それを達成した時っていうんですか」
レ:「もう13年目、あのー、非常に印象に残っている試合なんかあります?」
中:「いやっ、もういっぱいありすぎて・・・。(笑)」

 再び昔の映像・'91年7月24日オールスターで桑田からホームランを打ったシーン。代打で出た野茂にヘルメットを貸したシーン。'95年4月21日野田の日本新記録19奪三振のシーンや、'95年8月26日佐藤義則のノーヒットノーラン達成で捕手中嶋と握手しているシーン。'96年4月12日、珍しいサヨナラ押し出しデッドボール(西武・潮崎から)のシーンが次々と流れ、そして'97年オフ、FAで西武に移籍。東尾監督と握手をし、会見で「これからも、骨をうずめるつもりで西武ライオンズにいきたいと思います。」と言ったシーンも。
レ:「あえてですね、伊東捕手がいる西武ライオンズを選んだというのは何か意図するものがあったんでしょうか。」
中:「・・・・。いやそうですねぇ、ハイ(2回うなずく)。いろいろ考えありましたんで・・・来ました。ハイ」
 伊東捕手と練習をしている姿が流れながら
レ:「聞いてもよろしいですか?」
中:「イヤ、長いです(笑)」

 日本シリーズの映像が流れ、
ナ:「昨年の日本シリーズでは、その存在感を強くアピールしました。」
中:「(今の)調子があんまりよくないもんで、これからー、ちょっとどんどんあげていきたいと思いますけどね・・・。」
 最後に、松坂投手のプロ初完封でガッツポーズをしながら松坂に歩み寄るシーンが流れながら
ナ:「バッティングにリードに、そして今度は2000試合出場に向けて、がんばれ中嶋!!」

 ・・・以上、じゅんこさんが書き起こしてくださいました(編集段階で多少改ざんさせていただきましたが)。感謝です。
 読んでの通りお宝映像満載のようですが、実は私は見たことないんです(泣)。

 ●クエスチョン9('00.5.27放送)
 9つの質問にYes,Noで答える「クエスチョン9」という名前まんまのコーナー。内容をおおざっぱに紹介。
Q1.「今シーズン出場試合が少ないのは不満だ」
 ―(答えにくいことを〜、というように苦笑い)「ええっ・・・Yes」「やっぱり、出たいですから」
Q2.「盗塁を刺すのは誰にも負けない」
 ―「No」「あまりコントロールとか良くないんで。もっとコントロール良ければ殺せると思うし、まだまだ人に負けてると思います」(リーグトップの阻止率は?)「それはピッチャーが協力してくれてるからなんで、関係ないと思います」
Q3.「投手リードで、データより勘を優先させることがある」
 ―「Yes」「相手もデータは知ってますんで、同じことばっかりやってたらやられますからね、切り替えっていうのは勘だと思います」
Q4.「いずれ松坂は160キロの速球を投げると思う」
 ―「No」「160キロの球を受けたことがないんでわかりませんけど、出したからって、打たれたらしょうがないですしね」
Q5.「ときどき長電話をする」
 ―「No」
Q6.「欲しいものはすぐ買ってしまう」
 ―(間髪入れず)「Yes」
Q7.「テレビゲームが大好きだ」
 ―(やや間あり)「Yes」
Q8.「そろそろ結婚してもいいなと思っている」
 ―(すかさず)「Yes」(どんな人が?)「・・・いい人(笑)」(芸能人では誰が?)「いや、そんなことはあんまりないです」(性格は?)「いや、いい人(笑)」
Q9.「今、悩みごとは何もない」
 ―「No」・・・(スバリ悩みは何?)「野球自体じゃないですか」
 ・・・という感じ。相変わらずの喋りながら顔をさわるクセは、落ちてくる汗を指先で拭う意味もあったみたいだけど。
 ●僕のヒーロー('00.8.12放送)
 その日取り上げている選手に、子供のころのヒーローについて訊く、内容的には去年やっていた「あんたが大将」にカブりがちなコーナー。本人選曲のBGMはKinkiKidsの「夏の王様」。そーきますか・・・。でも「きのうのミス、あしたのドジ、あさって悩め」の歌詞はどーにも中嶋さんにピッタリな気はしますが(笑)。髪、茶色くて短かったです。
●『ヒーローは誰ですか』
○「ジャッキー・チェンとか。少林寺拳法?ああいう系にはちょっと、ちょっとだけハマッたような気がします。」
 でも「あえて言うなら・・・」ってカンジでそれほど熱烈でもなかった様子。その証拠に「始めはしなかったですけど、いろんな鍛錬ですか、あれを見ながら・・・これできるんだろうか、チャレンジしようかなと思ったことあります」「チャレンジは?」「(素早くあっさり)しなかったです(笑)」。
●『野球選手で好きだったのは』
○「僕は・・・山田久志さん」「ピッチャー?」「はい。アンダースローってあんまりいないじゃないですか、だからそれに憧れたっていうか」郷土のヒーローってのもあったでしょうね。
●『夏休みの思い出は』
○「まあ、中学高校はもうずっと練習してましたし、小学校のときはもうプールばっかりだし」「夏になるとやっぱ泳ぎ?」「そうですね、もう外で。家でのんびりっていうのはないですね」ここの「外」のアクセントがもう関西なんだわ!かわゆ〜い。
●『野球少年たちへ』
○「これからもっと大事な試合になりますけど、皆で球場に来て大きな声で応援してください、お願いします」(と帽子のツバに手をやる)。
 ・・・これでおしまい。他の選手のときはいつもある「CMの後はMore Runs Lions、後半戦です」のコメントがなかった・・・なんか悔しい。
 ●教えて!着メロ('01.6.16放送)
 レッツゴーライオンズ、'01年度の定例企画は「教えて!着メロ」という、選手の携帯電話の着信メロディーを尋ねる、というものでした。  「自慢の強肩と思いっきりのいいリードで投手陣を盛り上げるクールな恋女房・いつも勝利の立役者」なんちゅうコメントとともに紹介された中嶋さんは黒いTシャツにジーパン。着メロを鳴らす前に携帯の画面をそのジーパンで拭いてたのがかわいかったっす。  そして注目の着メロは、パパイヤ鈴木とおやじダンサーズの「舞いWAY〜油ギッシュラブ〜」という曲でした。元米々の石井竜也さんが作詞した曲で(ちなみに作曲は井上大輔だ)、私は聞いたことないんですが割とタイトル通りの内容の歌らしいです(笑)。
 中嶋さんは、タダで着メロを配信してくれるところをまわしていて、いいなと思って決めたそうです(もとから本体に入ってた曲ってこと?)。ずっと変えていないとのこと。最後「めっちゃ恥ずかしいわ」と言って撮影場所から去っていきました。ちなみに携帯本体はdocomoのN502iと思しき、シンプルな黒。ストラップもシンプルなものだった模様。
 ・・・と、ここまで書いておきながら管理人本人は未見だったりします(だから伝聞口調)。とほほ。

○雑誌編
 ■プロ野球ai
 プロ野球ai。それは隔月偶数月頭に発売される、なんというか・・・乙女のための(笑)ミーハー野球雑誌。最近はさっぱりですが、昔は中嶋さんがずいぶん登場していました。

 ●初登場! '89年9+10月号「ファームあんな話こんな話」
 “『ムリヤリ登場!』「ボク、まだ一度も出たことないんですよね〜、なんとかしてください」と積極的にアピールしてきたのが、この方。昨年までは背番号53、今年27に変わった中嶋聡捕手。そう、ここに出てはいけない一軍の正捕手。「でも昨年はファームにいましたよ」って言うんで、ムリヤリのご登場。「タイプの女性は、ハデハデじゃない、女優で言うなら鈴木保奈美。ファンレター、待ってますッ」何のことはありません、ファンレターの催促が目的だったよーです。「でもね、高嶋が出てきたら、危ないもん。今のうちにファームに落ちたときのこと考えて、是非のせてください!」のひとことに負けました!”
 ・・・本当にムリヤリですね(笑)。当時20歳!若い。その頃って、BWの若手選手なんかが単独でページを取るのは難しい時代だったのでしょうか。その後単独ページにも登場するようになりましたが、「自主トレでスキーをする」中嶋さんを取材してくれるはずだった予定をすっぽかしてしまったことがあるらしい・・・。

 ●表紙! '92年7+8月号
 なんと、この号の表紙は中嶋さん。もちろん特集もあり。阪急を含め、オリックスの選手がこの雑誌(笑)の表紙になったのは初めてだった(はず)。・・・詳しく、読みたいですか?

 ●巻末人気投票「いま光っているヒーローたち」
 初登場は、'89年11+12月号・31位(14)。そして翌'90年1+2月号・22位(35)→3+4・13位(53)→5+6・17位(83)→7+8・16位(86)→ '91年1+2月号・→3+4・14位→5+6・10位(245)→7+8・8位→9+10・6位→11+12・8位→'92年1+2月号・8位→3+4・7位→5+6・8位(247)→7+8・8位→9+10・4位(最高位)→11+12・14位→'93年1+2月号・14位→3+4・11位(451)→5+6・9位(308)→7+8・11位(269)→9+10・11位→11+12・14位(283)→'94年1+2月号・20位(269)→3+4・30位(125)→5+6・17位(247)→7+8・17位(310)→9+10・17位(234)→11+12・21位(231)→'95年1+2月号・31位(92)→3+4・圏外!→5+6・22位(240)→7+8・11位(405)→9+10・18位(381)→11+12・5位→'96年1+2月号・8位→3+4・6位→5+6・5位→7+8・10位→9・7位→11・8位→'97年1月号・10位(513)→3・14位→5・8位(420)→7・23位(307)→9・20位(372)→11・23位(178)→'98年1月号・15位(407)→3・30位(182)→5・25位(423)・・・以後未確認(全然出てこないので読まなくなった)
 うわ、見にくい。折れ線グラフでも作ったほうが良かったかな。でも、打つのはものすごく大変だった・・・。2つの資料が食い違っていて特定できなかったものもあるし。ちなみに( )内は得票数です。

 ■週刊ベースボール
 ご存知、日本唯一の週刊野球雑誌。探せばもっと出てきそうだけど探すの大変・・・。
 ●公開質問状('88.10.17号)
 ごひいき選手への質問を読者から募集し、それに選手が(一部直筆で!)答えるコーナー。
 まだ阪急の中嶋さんです。19歳です。個人的には意外な筆跡でしたが、かなりスキです。このときすでにファンまで「サメ」って呼び名が流布している・・・
 面白かったのは「今までの人生で、大失敗したことは?」の質問に「あまりに多すぎて、わかりません。」という(笑)。
 そして「お料理はできますか?」の質問には「ちょっとだけ。カレーライスやチャーハン程度なら。」・・・わぁ、ビックリ! おぼつかない手つきだとしても、中嶋さんが包丁を持ってたりする姿は想像しにくいかも(私だけ?)もしかして今はそのころより上達・・・してそうにないな(笑)。

 ●Appeal Play('90.3.19)
 前出の「公開〜」と形式的にはほぼ同じ。
 「中嶋さんが女だったら、チームの誰を好きになると思う?」の質問に「いい人はいっぱいいますけど・・・星野さん、かな。」・・・やっぱしねー。
 他にも「ズボン引っ張るの、クセですか?」「え、そうですかぁ?初めて知りました・・・!」とか。そう、中嶋さんって自分のしてることにいつもすごい無自覚なんだよなぁ(そこが魅力の真髄なんだけど)。

 ●'97〜'98オフの情景 巻末グラビア('98.1.?)
 「割り切れないなあ、中嶋クン」の見出しとともに、12月25日の入団会見で東尾監督と握手する中嶋さんの写真。この記事は多少アイロニカルな文章で書かれているが、“しかし、「それほど行きたいのなら、応援するぜ」とアメリカへ送り出したファンはちょっと釈然としない思いなのではないか。”というくだりは当時の私の気持ちそのまんまだったりする(苦笑)。

 ●西武入団決定時 スペシャルインタビュー('98.1.26)
 「ポジションを空けていられるより競争したかった。伊東さんを絶対追い越します。」
 そんな威勢のいい見出しがついて、FA宣言してのメジャー挑戦の末、西武への入団が決まった中嶋聡のロングインタビュー。
 「今がラストチャンス、20代で挑戦したかった」「(メジャー断念の)大きな理由はコミュニケーション。もう未練はない」「伊東さんは高い壁。だけど控えに回る気はない」「皆さんが思うほど、オリックス戦にこだわりはない」・・・
 そうやって、FA以降の一部始終やその間の心の動きを中嶋さんが語ったわけです。
 この頃のことは思い出すだに苦しくなります(泣笑)。全てが決まってしまってからも収まりのつかない思いは尽きませんでしたが、この記事を通じて本人の言葉を聞いて・・・納得なんて到底していないけど、もう何も言えないなと観念しました。いえもちろん、最初から何も言えないことなんてわかってるんですけど。
 それはつまり、どうしてもこの人が気になると。呆れようと胸が痛もうと腹が立とうと、見続けるのをやめることはできないと。深いタメ息とともに思い知ったのでした。
 ●今週の注目発言 二連発('98.2.16)
 ○西武・中嶋聡捕手:「何でも教えますよ!」・・・昨季西武が唯一負け越した球団を知り尽くしている男は頼もしい限り。
 ○オリックス・井箟球団代表:「西武に行っても頑張れ」・・・FAで移籍する中嶋があいさつに訪れた際に。ってアンタもめた挙句いろんなこと言ってたくせに(笑)。
 ●週ベオーロラビジョン・ベテラン移籍選手(?)('98.5.4)
 「もしもオリックスにいたら」の小見出しがついて、決して順調とはいえない新天地での滑り出しが記事になっている。「伊東にいい刺激を与えている」だの、「脱税事件で三輪を欠いた古巣が中嶋の存在感を改めて思い知っている」だの。
 ここでもある言われてるなぁ、「人見知り」。西武投手陣の中嶋さん第一印象は「比較的変化球が多い」だったそうで。
 ●週ベオーロラビジョン・新天地1年目を振り返る('98.10.?)
 この特集のトップバッター。「後半、故障による離脱も、投手陣の立て直しに貢献」なんて見出しがついて、'98シーズンを振り返っている。そういえばオープン戦は絶好調だったっけ。横田投手のプロ入り初完封試合のリードもしてたっけ。西武投手陣の特性を記した極秘の「中嶋ノート」なんてあったとは。
 そして結びの文章には“「日本シリーズには必ず・・・」。東尾西武の日本一奪回へ、意気込む中嶋は大舞台での出番を待つ。”なんて書いてある。中嶋さんはこのシリーズで、その肩を見せつけることができるんだけど。

 ■Number
 「スポーツグラフィック・ナンバー」というタイトルどおり、美しい写真満載・デザイン性の高い誌面が特徴。文藝春秋社刊。
 ●376 '95オリックスリーグ優勝特集('95.10.12)
 「クサらず前向きでいたから今がある。」
 との見出しで、中嶋さんのページが。
 あまり試合に出れなかったシーズン序盤、高田さんや三輪のリードを見て、自分のリードを考え直した」みたいなことを話してます。
 ●'95 Baseball Final 日本シリーズ徹底分析('95.11.?)
 何しろ相手が野村監督と古田なもんだから、中嶋さんの名前もけっこう出てくる。でも第4戦以外はどれも読んでいて苦しい。というか痛々しい。
 私のノムさん逆恨みロードはここからはじまる(笑)。
 ●フォーカスの外でこそ('96.10.?)
 V2を飾ったオリックス、イチロー特集。細かいことなんですけど、P.21のチャンピオンフラッグを持って歩くイチローの後ろでブレている笑顔。・・・中嶋さんでしょう。
 こんなにぼやけていてもわかる、きっと極上の笑顔だったんだなと。
 ●1998 Baseball Final 日本シリーズ 「谷繁元信vs伊東勤・中嶋聡」('98.11.?)
 このシリーズ、中嶋さんはそれなりにいいところを見せたけど、結局は。全ては結果論だからもういいけど、負けた試合についてあれこれ言われるのはやっぱ、ツラいなぁ。

○その他書籍
 ■イヤーブック
 オリックス時代のそれは、質問群がイカしていて好きだった。西武のはちょっとつまんない?
 ●'87
 ・・・NO FILE.(見たことない)
 ●'88
 ・・・NO FILE.
 ●'89
 ・・・NO FILE.
 ●'90

 小川博文選手と2人で神戸案内。紺×白のボーダーに赤いヨットパーカという姿の中嶋さんは若くてかわいいけど、今見るとちょっと恥ずかしい(笑)。
 ●'91
 ボクシングWBA世界Jrフライ級1位(当時)の井岡弘樹選手と小川選手との鼎談。
 ●'92
 小川選手、高橋智選手とのBW若手鼎談。
 ●'93
 小川・田口・鈴木(イチロー)選手と4人での、NEW WAVE TALK。
 ●'94
 ・・・NO FILE.
 ●'95
 ・・・NO FILE.
 ●'96
 小林・平井投手と3人そろってのインタビュー。
 ●'97
 特に企画なし。
 ●'98
 ここからライオンズ。特別扱い枠はもらっている。スーツ姿とえーと・・・。
 ●'99
 特別枠はあり。私服写真、ちょっと髪切りすぎ(笑)。
 ●'00
 特別枠はあり。西武園ゆうえんち(笑)で撮影の私服写真、ほぼ黒一色のコーディネートにチョーカー(いただいた情報によるとブルガリだそうです)。大不評(失礼)のヒゲ面、私は「山賊か何かの頭領みたい・・・」とか思っていたのですが、友人曰く「いや、せいぜいがコソ泥でしょう」。うーん、そうかも。

 ■『Blue Thunder』
 毎月発行、オリックスのファン雑誌。ファンクラブではもちろん、神戸近郊では本屋や駅の売店でも買える。
 この雑誌の編集人の中に、中嶋さんファンがいたのはほぼ間違いない事実だと思うのは私一人だろうか(編集後記からお名前すら察することができる)。チームの人気頭だった頃の取り上げられ方が頻繁なのは当然として、試合出場がずいぶん減ってしまった時期もかなり優遇されている気配を感じた。嬉しかったけど。
 かなり愉快な情報源でした。おかげさまでこのページのネタ元としてもバリバリ利用させていただいてます(関係者の方、どうか見逃してやってくださいまし)。どなたか創刊当時から持っている方いらっしゃいませんか。
 ●'93.1月号
 「BW何でもQ&A」・長谷川滋利
 「プロに入って一番驚いたこと」は「中嶋の人気」だそうで。他の号でも、当時の彼は中嶋さんのあまりの人気に少々ヒクツになってるフシがあります(笑)。
 オークションいまむかし
 '92.12.5にさんちか(三宮地下街)で行われたチャリティオークション&田口・鈴木選手(イチローですがな)のサイン会。
 “選手愛用品がセリにかけられるとあって、つめかけた約300人のファンは女子中・高校生がほとんど。鈴木選手のトレーナーとTシャツは8000円、超目玉の中嶋選手愛用セーターはなんと23000円で落札。あちこちでため息がもれていました。”
 ・・・それぞれの落札価格に、時代を感じずにはおれない(笑)。
 ●'93.3月号・表紙!
宮古島キャンプ
 この年が初の宮古島キャンプ。そのキャンプ初の休日、選手たちは浜辺へと繰り出す。「中嶋捕手に沈められ、もがく鈴木選手」って写真が載ってたり。水着姿(上半身しか見えないけど)の中嶋さんはユニフォーム焼けのあとがくっきりで笑えます。
 他の休日ショットでは他の選手と一緒にゴルフに出かけようとする姿が。白いだぶだぶのポロシャツで、カメラに向かってピースして。
・BW流明るい悩み相談室
【質問】これから春スキーのシーズンですが、アイスバーンになっている場所が多いですよね。スキー経験の少ない私はうまく滑れません。そこで、スキーがお得意の中嶋さんにうまくすべるコツを教えてもらいたいのですが。よろしくおねがいします。
【答】まずエッジを立てなければならないけど、エッジにばかり気を取られると結局すぐに転んでしまうでしょう。エッジをたてても板が滑ることが多いので、とにかくふんばる。アイスバーンは誰でもけっこう難しいので、慣れるしかないでしょうね。まあ、口では非常に説明しにくいんで、最初はアイスバーンを避けてはいかがでしょうか?あれは人がよく滑るところにできるんで、人の少ないところを通るとか、ゲレンデを見てアイスバーンの少ないところで滑るといいと思います。スキーはとにかく恐がらず、何度でも滑って雪面に慣れることですね。(中嶋聡捕手)”
 ・・・などという、単なるスキー教室になってるコーナーも(笑)。ところで私のスキーはいつになっても上達しません。運動神経のせいにしちゃいけませんか。


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