■勝手な略年譜■

1969年
3月27日、秋田県北秋田郡、鷹巣町に生まれる。
1979年 小学5年生のとき、それまで入っていたバレーボール部がなくなったため、野球部で野球を始める。
1981年 4月、鷹巣中学校に入学。
1983年 全国大会に出場、1回戦で敗退。
1984年 4月、鷹巣農林高校に入学。
1986年 7月26日、県予選準々決勝(4回戦)で敗退。

11月20日、ドラフト3位で阪急ブレーブスに指名される。
1987年 鷹巣農林高校を卒業、阪急ブレーブスに入団。背番号は「53」。

10月18日、一軍戦初出場。(vs南海・西宮球場)
1988年 4月30日、初安打。(vsロッテ)

6月22日、初本塁打。初打点にもあたる。(vs西武・森繁和)

10月22日、山田久志現役ラストマウンドの相手役を務める。
1989年 球団名がオリックス・ブレーブスに、背番号が「27」になる。

7月、監督推薦でオールスターに初出場。出場選手中最年少。

10月、ゴールデングラブ賞を受賞。
1990年 球団名がオリックス・ブルーウェーブとなる。

7月、2度目のオールスター出場(監督推薦)。
1991年 6月、初の月間MVPを受賞。月間打率.
1991年 7月、3度目のオールスター出場(監督推薦)。
1993年 7月7日、ロッテ戦でメル・ホール選手の本塁突入を阻止する際に右足頚骨および腓骨を骨折する重症を負う。
1994年 5月7日、走塁中に一塁ベース付近で転倒し右肩鎖関節を脱臼、手術。シーズン中の一軍復帰は叶わず。
1995年 1月17日、阪神大震災。

4月21日、野田浩司19奪三振日本記録達成の相手役を務める。

7月、4度目のオールスター出場(監督推薦)。

8月26日、佐藤義則ノーヒットノーラン試合の相手役を務める。

9月19日、オリックスがリーグ優勝。

10月、ヤクルト相手の日本シリーズに敗れる。しかしパリーグベストナイン、平井とともにベストバッテリー賞を受賞。
1996年 7月、初のファン選出で、5度目のオールスター出場。

9月23日、オリックスが2年連続のリーグ優勝。

10月24日、巨人相手のシリーズに勝利し、オリックス日本一に。
1997年 9月、FA取得年限の改正にともないFA権を取得。

10月、FA権行使を宣言し大リーグ入団テスト受験などのために渡米。2週間ほどで帰国。

12月25日、いくつかの経過ののち西武ライオンズに入団。
1998年 1月、ライオンズでの背番号が「5」に決定。

9月8日、キャッチャーフライを追った際に、転がっていたバットリングを踏んで捻挫。

10月7日、ライオンズがリーグ優勝。

10月18日〜、日本シリーズvs横浜に3戦目から出場。しかし日本一は逃す。
1999年 6月26日、1000試合出場達成。史上?人目。

7月、6度目のオールスター出場(監督推薦)。
2000年 背番号を「22」に変更。和田との番号トレード。

11月7日、指を手術。
2001年 5月20日、プロ15年目にして初の満塁本塁打。in長野オリンピックスタジアム。
2002年 3月、ルーキー時代を除き、ケガ以外では初の開幕2軍スタート。

6月27日、ようやく一軍復帰。

10月、ライオンズがリーグ優勝。対巨人のシリーズには敗退。

11月、西武⇔横浜の2対2トレードの目玉として、横浜ベイスターズに入団。背番号は35。
2003年 3月28日、'97以来6年振りの開幕スタメンマスク。

5月18日、一軍選手登録抹消。以後昇格機会なし。

10月、金銭トレードで日本ハムファイターズに移籍。背番号は32。


HOMEなかじまにあ > 中嶋さん略歴